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生活は不要不急に彩られている

とりとめのない話を書こうと思う。

 

私は長崎の田舎で生まれ育った。

田舎とはいえ、頭にドとつくほどじゃない。そこそこ栄えた田舎である。
バブルの時期に色々開発しようと頑張ってみたものの、力及ばず、地方都市になれずに終わった。そういう感じの町だった。車で15分ほど走ったところにイオンと蔦屋とダイソーがある。これで何となく、どういう場所かイメージがつく人もいるんじゃなかろうか。

私が小学生のころに、町で唯一の映画館が休館した。

それまで私は毎年、母に連れられてドラえもんの映画を見に行っていた。劇場でもらえるおもちゃできゃいきゃいと遊んでは部品を壊していた記憶がある。
そんな幼い頃の思い出がつまった映画館は、休館したその数年後に「土日祝だけ営業」という形態で営業を再開したものの、いつのまにかフェードアウトするように廃業した。

映画館がなくなった時に、私は「ああ、この町は都会になりそこなったのか」となんとなく思った。

以来、地元の人間は「映画館に行きたい」と思ったら、電車を乗り継いだり自動車を走らせたりして、長崎市に行かないといけなくなった。他にも選択肢がない訳ではなかったけれども、どこを選んだところで1時間半以上の移動が必要になる。あの地域で最新の映画を観るのは中々にハードルが高い。近所に蔦屋が出来て多少環境は改善されたが、それだってレンタルが始まるまでは観られない。
いま思い返すと、映画に行く週間が途絶えてから漫画を買う冊数が著しく増えた。もしかしたらあの町に映画館がずっとあったら、漫画オタクじゃなくて映画オタクになる未来もあったのかもしれない。(いやそれはないと脳内でだれかが突っ込んだ。)

地元の映画館が潰れた後、ひさしぶりに映画館で観た映画は『ハリー・ポッターと賢者の石』だったと思う。

中1のころ、近所の書店に静山社の『ハリー・ポッター』シリーズの1巻、2巻が並びだした。当時はまだインターネットやスマホなんてなかったから、『ハリー・ポッター』という児童書が流行っているなんて地元の誰も知らないくらいだった。都会の流行は数年単位で遅れて届く。周りのだれもハリー・ポッターを知らなかったし、当然私も知らなかった。ただ、その書店の品揃えに絶大な信頼を寄せていた。とりあえず流行りものは確保してくれていたし、いま思うと中々ニッチな本も小数部ながら揃えていた記憶がある。あの町のオタクは、その店とコトブキヤ(※今は存在しない九州ローカルのスーパー)の4階に入っていた本屋から供給を受けていたはずである。

とりあえず1巻を買う。
徹夜で読破する。
2巻を買う。
徹夜で読破する。

こんな感じでハリー・ポッターを一気読みし、友人や学校の先生、はては親に連れられていた飲み屋のママなどに勧めまくった。そうこうしているうちに、映画公開前の宣伝がテレビで始まり、皆がハリー・ポッターの名前を知るようになった。
「利鷹ちゃんがオススメするものって絶対あとで流行るよね」と飲み屋のママに言われたことがあるが、行きつけの書店が都会の流行をきちんと追いかけてくれていただけである。
(あと書いてて思ったけど、中学生の頃から私は自重しなさすぎだ。国語教師に中二病の症例に満ちたオリジナル小説を読んでもらっていたりとか、市の吹奏楽コンサートのポスター制作に立候補してエルフ耳のイラスト市内中にばらまいてもらったりとか、自重のなさに関しては他の追随を許さないところがある。)

その年の12月、誕生日プレゼントとして、父の車で映画館に連れていってもらった。……ということを、この記事を書き始めてから思い出した。よく思い出せたな自分、とちょっと驚いている。

私は誕生日に映画館に行くことをねだる程度には、映画を観ることが好きだったらしい。

それでも誕生日のような特別なイベントでもない限り、映画館に行くことは滅多になかった。だって電車で映画館に行こうと思うと、片道2000円くらいの電車賃がかかる。映画1本の料金と往復費用だけで、月のお小遣いをゆうに飛び出た。高校に入ってからは演劇部の活動が楽しかったし、相変わらず漫画が好きだったので、時間と予算はそちらの方に回された。

さて、大学進学のために上京した私が意気揚々と映画を観に行きはじめたかといえば、そういうわけでもなかった。当時はまだひとりで映画館や喫茶店に入る度胸がなく、同郷の友人と出かけることの方が多かった。カラオケ、猫カフェ、東京ディズニーランド、東大演劇サークルの舞台公演、東女かどこかの狂言サークルの催し、トリックアート美術館、男装喫茶、同人誌即売会、エトセトラ。他人と一緒だとこのオタク、フットワークがやたら軽い。

ひとりでふらふら歩き始めるようになったのは、たしか大学2年の頃だった。
上野の美術館で展示されていたレオナルド・ダ・ヴィンチの『受胎告知』が見たかったのだ。友人の誰かと一緒に上野まで行った記憶はあるのだが、何らかの理由で『受胎告知』観覧の行列にはひとりで並んでいた。多分あれが私が死ぬまでに直接みる絵画のなかで、一番有名な作品になるだろうと思う。生でみた『受胎告知』はちょっと、表現が思いつかないくらいきれいだった。

そのあたりから多分、色々と箍が外れた。ひとり歩きが楽しくて、いろんなところに通うようになった。飲食店もひとりでぽんぽん入るようになった。喫茶店と勘違いしてフレンチの店に入った時はどうしようかと冷や汗をかきながら三千円のランチを食べた。ルポライターの方ですかとシェフに聞かれたときのいたたまれなさといったらなかった。

初めて作るオフセット同人誌の入稿方法がよくわからず原稿を引っさげて印刷所にお邪魔した。高校時代に憧れたキャラメルボックスの公演を観に行った。akeboshiの演奏を聴くために薄暗いライブハウスでコークハイを飲んだ。大学で授業を受けていた先生の文芸トークショーを聞きに池袋のバーに飛び込んだ。ひとりで映画館に足を運ぶようになったのもその頃だ。東京で最後に観た映画は3D映像がすごいと噂になった『アバター』だったと思うが、あれは多分二度と見ねえ。私には合わなかった。

そんな都会の遊びは卒業後、実家に戻るとできなくなった。当然である。映画館さえない町で、大学生の頃のような遊び方ができるわけがない。

唯一昔と違うのは、私にも少ないながら収入があった。

家庭教師のバイトをして、医療事務のバイトをして、小さなシステム会社の社員になった。実家にいくらか生活費を渡したら、あとは貯蓄と趣味に回った。初めて私は自分のお金で長崎市に行き、映画を観た。『シャーロック・ホームズ』『不思議の国のアリス』『相棒Ⅱ』『借りぐらしのアリエッティ』『るろうに剣心』あたりは長崎の映画館で観たはずだ。

自分のお金で電車に乗って映画館に行けることに、少しだけ大人になった気分を味わっていた。

関西に飛び出してからは刀剣乱舞の影響で刀剣を見に行った。へし切長谷部が推しだけれども、北野天満宮の小猫丸もなんとなく好きだ。来派の刀はデザインがキマりまくってる感じがしてちょっとどきどきする。大倶利伽羅はきれいな刀だと思った。三日月宗近はちょっとこわい。

映画館に行く回数も増えてきた。『イミテーション・ゲーム』以上に『シークレット・オブ・モンスター』はしんどかった。『LUCY』は好きかと言われると普通なんだけれども、性癖が小骨のように刺さっていて忘れがたい。『美女と野獣』はエマ・ワトソンが可愛かった。『マレフィセント』は元の『眠れる森の美女』に対してよくもまあこんな超解釈をしたな、と思った。『キングスマン』で脳みそが飛び上がるシーンに笑い、『ゴティックメード』の美しさにため息をつき、最近ではネトフリでTVアニメから『Q』までマラソンした後に観た『シン・エヴァンゲリオン』に、よくわからんが頑張ろう、と思った。

思い返すと私の生活には、不要不急が至るところに転がっている。

今年のゴールデンウィークは緊急事態宣言の影響で色んな不要不急が制限されている。私は専門家じゃないので、みんなが心穏やかに過ごせるようになるまでどのくらいの労力が必要なのか分からない。ただ、いつかその労力が報われた時に、不要不急をこれだけ楽しみながら生活している人間がいるということが、忘れられでもしていたら大層困る。
というわけで草の根活動的に『ぼく/わたしの不要不急』みたいなノリでこの記事を書き始めた次第だ。なので特にオチらしいオチがない。

『閃光のハサウェイ』も観に行きたいなー、『呪術廻戦』の映画も楽しみだなー。大きい本屋さんの空気を吸いに行きたいなー。
世間を気にせずのんびりと不要不急の外出を再び楽しめる日が来ることを願いながら、いまは引きこもり生活を満喫中だ。

さて、BL小説のネタでも練ろう。

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