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新年の挨拶に代わりまして、祖母の話をひとつ。

読了目安時間:6分

2023年新年のご挨拶に代わりまして、年末年始に色々考えていた祖母のお話をひとつ。エッセイ的なやつです。

あけましておめでとうございます、と言っていいのか? 12月に歳を取ってアラサーの称号を返上しなければならぬ利鷹です。

 

しばらくブログ更新が滞っていて申し訳ありません。拍手コメント、拍手ぱちぱちありがとうございます! サイト制作をなさっている方々にありがたいお言葉をいただいたり、二次創作にぱちぱちいただいたりしていただいてとても嬉しいです。

あと体感でしかありませんが、ワールドカップの後から「ブラボー!!!」の拍手コメントをいただくことが増えた気がしてちょっと笑っています。有難うございます~!

 

実は12月の頭に祖母が他界しました。

 

とはいえ親族一同、忌中の雰囲気が一切なく、ふつうに「あけましておめでとう」と言い合っている状況です。

なにせ祖母は享年、数えで103歳。だれがどう見たって大往生です。

導師の方に「どうぞ拍手で見送ってください」と言われるような葬儀でした。

 

今日は身バレを覚悟で祖母の話をネットの海に放流しようと思ってやってきました。

旦那さんや知人の一部にはもう話をしているのでそれで良し、とも思ったのですが。「うちのばあちゃんすごいんやで!」と自慢しておきたい孫心の発露とでも思っておいていただければ幸いです。

 

母方の祖母は、ちょっとよくわからない働き方をしていた人でした。

 

祖母の子どもは5人。私の母は末の娘だったんですが、その母が小学生のころに夫を亡くし、以来女手ひとつで5人の子どもを育てたひとです。

私が会ったことのない母方の祖父は地域の大工の棟梁だったそうで、それまでは羽振りの良い生活をしていたそうですが、祖父の死後は生活が一転し、聞いてるだけでも働きづくしの生活を送っていた様子でした。

家で煙草屋を営みながら、傍らで旅館の浴衣を縫う和裁の仕事を請負い、深夜には観光バスの清掃業をやっていたと言います。母曰く、「母が就寝・起床するところを見たことがない」「どんなに忙しくても食事の時にはかならず食卓について、にこにことごはんをよそってくれていた」。

わりとこのエピソードだけでもすげえ人だな、と思います。正直これ出来る人間はそうとう稀なので、上記を読んで「ふつうのことじゃん」と思った方はちょっと色々顧みて、どうぞ。と思います。閑話休題。

 

そんな祖母は、熱心な日蓮宗の信徒でもありました。

 

葬儀の時にはじめて全容を聞いたのですが、祖母は子育てがひととおり終わって、色々なものが落ち着いた60歳の頃から、90を過ぎて体調を崩すまでの三十余年、毎日早朝からお寺に通う生活をしていました。いや「おばあちゃんお寺にいつも行ってるなー」とは思ってたけど30年続く習慣だとは思ってなかったよ。

 

お寺の婦人会に参加し、大晦日やお彼岸の時にお寺のお手伝いにも行っていました。地元の護国寺において祖母は有名人のようす。田舎なので名乗ればだいたい「あら、どこどこのお宅のお嬢さんなの」と把握される地域の生まれなのですが、年嵩のご婦人からは結構な頻度で「ああ、あそこのお孫さん」と認識されていた節があります。

 

さらにこれも葬儀の時に知ったのですが、祖母は日蓮宗の総本山である身延山久遠寺に10回ほどお参りにいっていたそうです。

 

地元・イズ・長崎県。身延山久遠寺・イズ・山梨県。グーグルマップ曰く片道11時間くらいかかるよ。嘘でしょ。60歳過ぎてからそんな旅程10回もこなしてんの???

 

そんな祖母の葬儀には、賞状が4枚飾られていました。

3枚は100歳のお祝いのときに総理大臣・長崎県知事・地元の市長から贈られた賞状。この頃はまだ安倍さんだったんだねえと話してたんですが、もう1枚はよくわからない、なんだろう。

お通夜の時、導師の方が教えてくれました。

「右手においてある賞状はですね、お祖母様が総本山の身延山久遠寺に10回お参りにいって、その時に『あなたが浄土に旅立つときには、日蓮上人がきちんとお迎えしますよ』と約束しました、という内容の賞状です」

 

 

極楽浄土にもVIP待遇ってあるんですね??????

そしてそんなVIP待遇受けるのおばあちゃん??????

 

 

葬儀は葬儀で、お寺から蓮の形のろうそくが特別にお供えされていたり、お経の後で聞いたことのない数え歌を婦人会の方とお坊さん達が歌っていたり、戒名に総本山のお寺の名前頂いていたり……何か……VIP待遇すげえな……という気持ちが強くわき起こる法要となりました。

 

 

「あー、おばあちゃんの死後の道行きは何も心配しなくて大丈夫だなあ」

 

 

ふ、とそう思って、なるほど信仰には残される人間を安心させる力もあるのだなあとぼんやり考えたりしていました。元々葬儀は遺族のためのものだと考えていたところはあるんですが、なんというか……生前の祖母の信心のおかげで、私や他の親族はその死を穏やかに見送ることができたみたいな所があるなあ、と感じた次第です。

 

私は宗教的感覚は人並み程度にあるけれども、宗教的慣習にはあまり馴染みのない生活をしています。ただ、もし子どもができたりしたら、そういう慣習をすこし取り入れるのも功徳のひとつかもなー、なにかを信仰するときには周囲のひとを支える功徳になるかというのは考えながらやりたいなー、と思ったりしていた年末年始でした。

 

祖母はもしかしたら49日を待たずに日蓮上人の導きで仏様になって衆生を見守ってるかもしれないと導師の方も笑っていたので、もし皆さんの新年に御仏の加護を感じるようなことがあれば、そのひとかけらは祖母のご挨拶かもしれません。かなり頑固ですが人懐こい笑い方をするかわいい祖母です。皆様のところに祖母のちょっとしたご挨拶がありますようにと願いながら新年のご挨拶の代わりとしようと思います。

 

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

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