• 帽子屋の誕生日

帽子屋の誕生日

9.白町のおぼっちゃま

 今日は子どもたちが広場に集まる日だったけれど、肝心の先生がいなかった。先生いわく「御上から呼び出しを食らった」らしい。
「おはようございますキッシェ先生。帽子屋先生の姿がありませんけど、昨日ケンカでもしましたか?」
「ケンカはしてないけど、サミーの好きにさせるなとはきつく言われたわね」
「……手厳しいおことば!」
 降参、というふうに両手をあげたサミーに、テッドとニーナがきゃっきゃと笑い声をあげている。ほかの子たちも楽しそうにしているし、本当にここに集まっている子どもたちは仲が良い。
「それじゃあ、いつもどおり、まえに蝋板をとりにおいで」
 先生から預かっていたお医者さん用のかばんには、人数分の蝋板がそろえられている。蝋板に書く字は読みにくいが、なんども消して書きなおせるから、広場でしか勉強できない子どもたちの強い味方だった。紙が用意できれば一番いいのだろうけど、彼らの分の羊皮紙を毎週準備していたら、それこそ店がつぶれてしまう。先生は古本屋の仕事で得たお金だけしかこの「酔狂」には使わないと決めてある。彼なりのこだわりらしかった。
「へえ、いまどき蝋板なんて使ってるやつらがいるのか! 貧乏人の家に生まれると大変なんだな」
 ぎょっとしたのはマルタだけではない。子どもたちも驚いた顔で、いきなり話しかけてきた少年のほう見やった。見るからに高価そうな外套に、宝石があしらわれた子ども用のステッキ。どうみたって彼は赤町の人間じゃない。だけどマルタはその男の子を知っていた。
「フィリップ様? それにレイチェル……」
「もの好きのお化け帽子屋が、赤町の連中相手に家庭教師チューターのまねごとをしてるって言うからさ。でもなんだ、いるのはうじうじマーシィマーサだけじゃないか」
 せっかく見にきたのに、と仰々しく残念がる金髪の男の子は、フィリップ・パリー――つまりパリー卿のご子息だ。どうやら案内役にレイチェルをつれて、わざわざ赤町までおりてきたらしい。なにひとつ変わっていないフィリップぼっちゃんに、マルタはあいまいに笑いながらあいさつをする。レイチェルも大変だ。
 うしろで子どもたちがぴりぴりしているのもマルタには分かっていたが、どうにか堪えてもらうほかない。サミーのほうをちらりと見ると、彼はどきっとするくらい怖い目をしていたものの、目配せに気づくとしぶしぶといった具合でひらひら手をふった。
「オルター先生は白町のほうに出かけていますから、今日はこちらには来ないと思いますよ?」
「先生! 先生だって? 冗談はよしてよ、マーシィ・マーサ。帽子屋先生ミスター・ハッター。こりゃいいや! おまえらもかわいそうだよな、あんな男を先生なんて呼ばなくちゃいけないのか。帽子屋の気まぐれについつい乗せられて、本当にかわいそうだ!」
心底おかしそうなフィリップ様は、そのまま転げて地面を転がっていくんじゃないかというくらいおなかを抱えて笑っていた。平日よりひとは少ないとはいえ、ここは聖堂まえの大広場だ。いつもは知らないふりを決め込むおとなたちも、みんなこっちを向いている。
「フィリップぼっちゃま、あまりお屋敷をはなれては、奥様がたが心配しますよ?」
「なんだよ、レイチェル。レイチェルは僕の命令がきけないのか?」
「そういうわけではありませんが、ここは赤町ですから……その。ぼっちゃまのように高貴なかたが長くご滞在なると、よからぬこと考えるやからが目をつけるかもしれませんから」
「そうならないためにおまえをつれてきたんだろ。命令が聞けないんだったら、お母様に言いつけてマーサみたいにクビにしてやる!」
 お母様にべったりなのも相変わらずだ。以前とちがうところをあげるとすれば、まえにもましてぷくぷくとしている。フィリップぼっちゃまといい、ネコのダイナといい、あの奥方様にかわいがられるとみんな太ってしまうのだろうか。
「マルタおねえちゃんと先生のこと、ばかにしないで!」
 かっとしやすいテッドや白町嫌いのサミーばかりに気をつけていたのがまずかった。しまった、と思った時にはすでにニーナがつっと立ち上がり、フィリップをにらみつけていた。
「なんだよ、おちびさん」
「さっきからずっと、おねえちゃんの悪口ばっかり言って!それに、ニーナのことだって、ちびだからってばかにしないで! ニーナがちびなのは本当だけど、ニーナ、あんたなんかよりずっと、おねえちゃんのほうがもっとえらいっていうのは分かるもん!」
 ニーナがこんなに怒鳴るなんてだれも考えていなかったので、そこにいた仲間たちはみんな唖然とした表情で、ニーナやフィリップを見つめていた。テッドにいたっては、妹の怒号に青ざめた顔をしている。
「だいたい、なによ。ママに言いつけてやるって、おとなにあまえちゃって、なのにえらそうにするなんて! 泣き虫アレックスだってママにはなんにも言わないのに! パパとママがいなくっちゃなんにもできないんでしょ、ふとっちょフィリップピッグ・ピップ!」
 自分よりずっとちいさいニーナにさんざん言われて、フィリップも頭に血がのぼったらしい。まるい顔を真っ赤に染めて、持っていたステッキを振り上げた。
「ニーナ!」
 マルタがかばうよりもさきに動いたのはテッドだった。両手をぶんっと振り下ろし、フィリップに向かって風を起こしたのだ。思いっきりやったのだろう、ステッキを飛ばすどころかフィリップの大きな体まであおって、そのままどたんと転ばせてしまった。それと同時にニーナがわっと泣き出して、遠巻きに見ていたひとたちまでどよめきはじめた。
「フィリップぼっちゃま! おけがは……」
「うるさい、うるさい! 絶対にゆるさないぞ、ちびに、それからそばかす! ただで済ますもんか!」
レイチェルの手を振り払って、ますますフィリップは顔を赤くした。とうとうテッドのほうも耐えられなくなって、売り言葉に買い言葉をつきつける。「こっちからねがいさげだ、このふとっちょ! うちのちびになにする気だった!」
「赤町の人間のくせに、なれなれしい口をきくな! 僕は貴族なんだぞ、野良犬みたいな暮らししかしてないやつが、そんなことを言ってどうなるか分かってるのか!」
 横でアンジェラとアレックスも泣きはじめているし、サミーだっていまにも飛びかかりそうな勢いだ。どうにかしなければ、本当にただでは済まなくなってしまう。
 先生はいない。だから私が、なんとかするしかない。
「……ニーナ!」
 叫ぶように泣きじゃくる彼女の名前を呼んで、マルタは背筋をぴんと伸ばした。
「まずはニーナから、あやまって」
「姉ちゃん、なんでニーナが……」
「テッドは黙る!」
 ぴしゃりと言い放って、サミーに視線で合図を送る。突然声を荒らげたマルタにサミーもすこしほうけていたが、すぐに自分を取り戻してテッドの肩をつかみ、うしろにさがらせた。サミーが相手だとテッドも文句が言えないから、それきりしたを向いて黙り込んでしまった。
「だって、おねえちゃんが」
「私は全然気にしてないのよ。だけどニーナ、いきなりあんなこと言ったらケンカになるって分かるでしょ?」
涙でぐちゃぐちゃになった顔で、それでもニーナは泣き声を堪えようと口をきゅっと結んでいた。やっぱりニーナは根性があるなあと、こんな時なのに笑ってしまう。
「悪口はかんたんに言っちゃいけないって、オルター先生に習わなかった?」
「うん、習った」
「だったら、ごめんなさいしようね」
 泣きはらした顔でこくこくとうなずいたあと、ニーナはフィリップの方を向いて、ごめんなさい、と嗚咽混じりに頭を下げた。それを見届けたあとマルタはすこしだけうしろを振り返って、不満そうなお兄ちゃんたちにウインクをひとつしてみせる。
 曲がりなりにも、私だって先生だ。もしここでなにもせずに引き下がったら、これからさき、子どもたちの目をみて話ができなくなる。フィリップと向かい合ったマルタは、息をゆっくりととのえて、ぎゅっと手をにぎった。
「フィリップ様も、ニーナにあやまってください」
「はあ? やだよ! なんで僕が謝らなくちゃいけないんだ!」
「ちょっと、マーサ……」
「ニーナの言ったことを許さなくてもかまいません。だけど自分よりもちいさな子どもをステッキでぶとうとして、泣かせるなんて。恥ずかしいと思いませんか?」
 マルタがはっきりそう言うと、ぼっちゃまはステッキを振りかざしてマルタに向けた。それでも彼女はちっとも怖くなかった。だって、私は間違ったことを言っていないはずだ。
「自分が、なにをいってるのか分かっているのか? うじうじマーサ」
「十分承知しているつもりです」
「……魔法もなにも持ってない、よそもののくせに!」
「関係ありません。ニーナも悪いことをして、あなたも悪いことをした。それだけです」
「あいつは、魔法で僕を転ばせたんだぞ」
「もし奥様がそばにいらして、そのときにフィリップ様が傷つけられたら、奥様だってフィリップ様を助けるでしょう? それとおなじです。……もしそれが納得できないようでしたら、どうぞ私のことを、旦那様や奥方様に言いつけてください。お二人がお怒りになるようでしたら、私はどんなおとがめでも受けましょう」
「――ああ、分かった。分かったとも。せいぜい聖堂でお祈りでもしておくんだな!」
 そんな捨て台詞をはいてから、どしどしと足音を鳴らしてフィリップは階段をのぼっていってしまった。慌ててあとを追ったレイチェルが、申し訳なさそうにこちらを見ている。レイチェルには悪かったな、困らせてしまった。気にしてないと告げるかわりに、笑って手を振るだけにした。
 ふたりの背中が見えなくなったとたん、マルタはそこに座りこんでしまった。
「マルタおねえちゃん!」
 ぱっと駆け寄ったニーナに続いて、ほかの子たちもマルタの周りを囲むように集まった。テッドまで涙目になっているので、大丈夫だと背中をたたいてあげたいのだけれど、どうにも立ち上がれそうにない。
「キッシェ先生、いまごろになって腰抜かしてやんの」
「……ああ、そっか。これ、腰が抜けてるんだね」
 マルタの間の抜けた返事に、サミーの肩からふっと力が抜けたのが分かった。サミーにはあとからお礼を言わなくちゃいけない。
「ごめんね、ごめんね、おねえちゃん。あのふとっちょ、きっと言いつけちゃうよ……」
「俺も、ごめんなさい……」
「気にしないで、ふたりとも」
 それに多分、旦那様がいる限り大丈夫だとマルタはふんでいた。もし奥様の気にさわったとしても、マルタの両親もパリーの家とは関係のないところではたらいているから、手を回されてクビになるということはないはずだ。むやみに使用人をやめさせると奥様の外聞にもかかわるから、きっとレイチェルのほうも大丈夫。
 もしなにかあるとすれば、先生くらいだろうけど。……ウィリアムが彼らになにかされるという図が、マルタには想像できない。
「……ああ、そういやあ先生」
 いつもよりのんびりした口調のサミーが首をかしげた。「先生、魔法持ってないんだ?」
「そう。ちがう国で生まれたから」
 流れるような自然さでそう返せたことに、自分でも驚いた。思えばフィリップにもついさっきおんなじことを言われたはずだが、ちっとも気にしていなかった。
「……先生、本当に魔法持ってないの?」
 いままでぼろぼろと泣いていてずっと無言だったアンジェラがもう一度たずねてきたので、「本当に持ってないの」とマルタも繰り返した。
「なんの魔法も持ってないのに、あの帽子屋先生とわたりあえるの? すごいね、先生」
 泣き顔のまましみじみとそんなことを言うものだから、みんな堰を切ったように大笑いした。
 
 その日の夜、パリー伯爵の屋敷にひとりの男がおとずれた。ピンクのリボンを巻き付けたハット帽の――それだけ口にすれば、白町の人間ならすぐそれがだれなのか理解する。白町がうわさ話に満ちているとはいえ、彼ほど多くの人間にその名を知られる者はほかにいないだろう。
 彼を招いたのはパリー卿そのひとだ。
「まさか目を泣き腫らしたご子息に出迎えられるとは思っていなかったが」
「柄にもなく、こっぴどく叱りつけてしまいましたからね」
「悪いことじゃあないさ。甘やかすばかりでは頭もとろけてしまう」
 軽口ばかりたたく帽子屋のまえには、酒ではなく紅茶を持ってこさせた。意外なことにこのうさんくさい古本屋は下戸だったりするので、酒を入れるとまともな会話すらできなくなる。
「しかし、あのキッシェがぼうやを口で追い払うとはね。小生も是非その場に居合わせたかった」
「私はいまだに信じられませんよ……あんなにおとなしい子でしたのに」
 屋敷にいたころのマルタは本当に静かで、パリー家の人間のみならず使用人たちからも隠れるようにして過ごしていた。アールが落とした本をたまたま彼女が拾わなければ、これほど気にかけることもなかったかもしれない。聞けば読み書きも計算もできるというのに、ずいぶんとも自信のなさそうな子だと思った覚えがある。
「第一、まさか卿の教え子だなんて。これっぽっちも思いませんでしたよ、お化け帽子屋。あんなにまじめな子なのに……」
「卿は小生を一体なんだと思っているんだ。……まあ、べつにかまいやしないが。今日はなんの用件だ? 息子を泣かせたマルタ・キッシェをクビにしないと、店をつぶすとでも脅すつもりじゃあないだろうな」
「そんなまさか。いつもどおり仕事の話ですよ。だいたい、私が言ったところでマルタをやめさせたりなんて卿はしないでしょう?」
 アールがどんなことばを使おうと、この帽子屋には勝てたためしがないのだから。
 だけど、それならなぜ彼は、聞いたとたんに沈黙したのだろうか。
「……帽子屋?」
「……正直なところ、理由に困っていたからな。ご子息さまさまだ」
 帽子屋の言っていることがよく分からない。返答に窮した彼を一瞥して、帽子屋はため息をついた。「暦をよく見ろ。潮時だ」
 言われるまま壁にかけた暦をたしかめて、パリー卿もようやく思い当たった。
「誕生日ですか」
「そのとおり」
 帽子屋が薄笑いを浮かべながらカップをからにした。……ああ、これは自嘲の笑みだな。生まれたころから彼とつきあっているアールだからこそ、帽子屋が浮かべる表情のちょっとしたちがいが見分けられる。マルタ・キッシェならどうだろうか。
「近いうちに、キッシェはクビにする」
 そう帽子屋は言っているけれども、彼女は怒るんじゃないかな。だけどお化け相手になにを言っても無駄だろうから、伯爵はそれ以上聞くのはやめておくことにした。

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