• 帽子屋の誕生日

帽子屋の誕生日

3.赤町の子どもたち

 下町のことを、王都の人間はたいてい赤町ブリッキーズと呼んでいる。レンガばかりでつくられている街だ、歩いてみるだけでその理由はすぐに分かるだろう。
 どこもかしこも赤茶色の壁ばかりなので、おさない子どもや、はじめて王都に訪れる旅人はかならずといっていいほど道に迷ってしまう。だから宿屋の主人や街のおとなたちは、迷ったらひとまず時計台を目指すようにと彼らに教えなければいけない。
 すっとまっすぐ空にむかってのびる時計台の方へと進めば、赤町の通りはだいたい聖堂前の広場へと出られるようになっている。広場には鶏や野菜などを売る露店が出るし、当然ほかの通りにもつながっている。人にたずねるにしろ、もといた道に戻るにしろ、いったん広場へ抜けた方が都合がいいのだ。
 聖堂のわきにある階段をのぼれば、そこから先は裕福な人間や貴族たちの居住区となる。レンガを組んでそのままの建物が多い赤町とはちがい、さらにその上から漆喰をぬり壁をまっしろにしてから装飾をほどこした美しい建物が道の左右につづく。だから王城周辺の区画は赤町に対して白町スタッカーズと呼ばれている。
《ウサギの庭》ではたらきはじめて、そこでマルタははじめてウィリアムが白町の人間だということを知った。
「ほとんどあちらには帰らないからな。知らないのもまあ分からなくはないが」
 つまらなさそうにそう告げたウィリアムといっしょに広場へ向かいながら、マルタは思わず彼をまじまじと見つめてしまった。
 手にはお医者さんが使っているような大きな鞄をぶらさげ、どんな染料をつかったのかと思うほど色鮮やかなオレンジの上着を着た先生は、それだけで注目の的になる。帽子屋というあだなの由来になったトレードマークのハット帽にはピンクのリボンが巻き付けてあるし、先生の身なりはとにかく派手だ。素朴な色の服を好むマルタの目にはどんな人のかっこうも自分よりは華やかに映るけれど、先生に関してはおそらく街中のだれもが派手だと思っているはずだ。
 そうと知ってから見れば先生の服はたしかにどれも上等で赤町の人間らしくはない。ただ、先生が派手に見えるのはちょっと奇抜だからであって、以前彼女を雇っていたご主人様や奥様のお召し物のようにきらびやかだから目立っている、という印象はなく……とにかく、とっても、へんてこなのだ。
 きっと白町でもこの人は浮いているのだろうなぁ、と思う。
「なにか小生に言いたいことがあるなら、言ってみたらどうだ?」
「い、いいえ。なんでもありません」
 じとりと帽子屋ににらまれたのであわてて首を横にふりながら、マルタはその後を追う。すれちがったひとがちらりとこちらを見てきたが、気にしてはいけない。目をそらしてやりすごす。
 帽子屋がだれかひとり従業員をやとったらしい、といううわさ話はもうあちこちで流れているから、マルタが彼に伴っていることを不思議に思っている人間は少ないはずだ。そう分かっていてもひとの目が自分のほうを向いているのは、居心地が悪くて仕方がない。たとえ引き寄せているのが自分ではなく、帽子のリボンをゆらしながら斜めまえを歩く街の有名人だったとしても、だ。
「おまえはもう少し他人に慣れた方がいい」
「……先生のようになるのは、ちょっとむずかしい気がします」
「小生のようになれと言っているわけじゃない。白町まで本を買い取りに行くこともある」
 そのつどもじもじされては困るからな、とこともなげに先生が言うものだから、周りが見ていることも忘れてマルタは「ええっ」と声を裏返させてしまった。
「む、むりです。ぜったいむり……!」
「なにごとも経験だ」
「だって、それって白町のひとを相手に、商売の話をするってことでしょう?」
「それが?」
「それがって……」
「しばらく奉公に行っていたというなら、貴族連中と話をしたことがないわけじゃあないだろう」
 それとこれとは話がちがう、と彼に言っても通じるのだろうか。魚のように口をぱくぱくしているマルタをおいて、ウィリアムはすたすたと先へ行ってしまう。
 使用人として貴族の家にやとわれるのと、一対一で貴族と話をするのは、わけがちがう。赤町のはしで隠れるように暮らしている自分が、あんな華やかで力のある人たちとまともに会話ができる気がしない。そもそも相手にされるはずがない。
 気の遠くなるような話だ。店のなかの掃除だとか書棚の整理やらを任されるものだと思っていたマルタに、このひとはなんて無茶を言うんだろう!
「なにごとも経験だ」
 マルタを呼ぶように先生はもう一度そう繰り返して、すぐに前を向いてしまった。
 平日は広場を埋めつくすのではないかというくらい露店のテントが並ぶが、週末にはそれもまばらになる。真っ青な空のした、日のひかりに照らされた聖堂はまぶしいくらいに白く映った。白町につづく東側の階段には子どもたちの姿がある。
「帽子屋先生がきたあ!」
「マルタ姉ちゃんもいっしょだ」
 声を上げる子どもたちのそばまで、先生はまっすぐ歩いていく。
 今日は週に一度の集まりの日だ。
「おはよう諸君。仕事はうまく抜け出せたか?」
「イエス・ボス。ばっちりであります」
 いちばん年長らしい子がにやっと笑いながら兵隊のまねごとをしてみせる。テッドはほかの子たちと混ざってくすくすと笑っていたが、ニーナの方はそわそわと落ち着かない様子で突然あらわれたマルタの方を盗み見ている。緊張しているせいだろう、心臓が早鐘を打ち始めたのが自分でもよく分かった。
 やっぱり無茶ですよ、と先生に言いたかったけれど、聞いてもらえないにきまっている。
 なつかしむひまもなさそうだ。
「彼女はマルタ・キッシェ。君たちと同じようにこの階段で文字と数を習った、つまりは先輩だな。しばらくの間、小生の助手として一緒に来てもらうことになった」
「よ、よろしく……」
 子どもたちの反応はまちまちだ。きょとんとこちらを見あげる子もいるし、珍しく手をたたいて喜んだニーナにマルタのことをたずねている子もいた。「先生の恋人ですかあ」などとからかうような声も聞こえる。
 どうすればいいのか皆目見当がつかず、いつのまにか帽子をとっていた先生におろおろと目配せで助けを求めても、
「しっかり頼むよ、キッシェ先生?」
 と言って意地悪な顔で笑うばかりだ。
 酔狂で子どもたちを集める、白町の変わり者。
 先生の悪口を言うおとなたちの気持ちが、マルタにもすこしだけ分かった気がした。

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