• 帽子屋の誕生日

帽子屋の誕生日

7.夕焼けに染まる街

 貴族や大きな商家の家を回りおえたのは、お昼の三時をすこしすぎたころだった。
 白町はその名前の通りどこを見ても真っ白だから、今日みたいな陽気の日だと本当にまぶしく思えてしょうがない。白い町並みは遠くから眺めれば青空によく似合うのだろうけれど、日中にそのなかを歩くとなるとちょっと日傘がほしくなる。
 白町を歩くときも、先生のかっこうは相変わらず派手だった。リボンを巻いたトップハットにマリンブルーのジャケットを見て、彼がだれなのか分からないひとなんてひとりもいないにちがいない。
「感想は?」
「正直、こなせる気がしません」
「当たり前だ。はじめからうまくやられては、小生の面目がつぶれるだろうが」
 慣れればやれる、と先生は言うけれど、どうやってもできる気がしなかった。先生はやっぱり白町でも有名人で、今日会ったひとのなかにはその顔を見るなりしかめっ面をしたひとだっていた。それでも先生は背中をぴんと伸ばしたまま目もそらさずに仕事の話ができる。それを厚かましいと感じるひともすくなからずいるのだろうが、先生の皮肉や冗談も客と話をしているあいだはなりをひそめてしまうので、相手も相応の扱いをするほかない。
 よく言えば、堂々としているっていうことだ。マルタにとってそれは、いちばん自分に足りないもののように思えた。
「なに、しばらくは顔見せのようなものだ。そのあいだに見て仕事を覚えろ」
「覚えても、先生みたいにはできないと思います……」
「まえにも言った気がするんだがな。小生のようになれと言ってるんじゃあない」
 そう言われたところでマルタの気がやすまるわけではない。第一、先生みたいにならないとこの仕事はやっていけないんじゃないだろうか……。ぐるぐると考えはじめてしまったマルタを横目で見やり、先生は帽子を整えながらやれやれ、とわざとらしくつぶやいた。
「むかしのように問答しなければならないか? ……小生たちは一体、なんのために彼らの屋敷をたずねる?」
 先生が質問をして、子どものほうがそれに答える。広場の子どもたちに先生が好んで使う方法だ。思わずしゃんと姿勢をただしたマルタは、白町のなかだというのも忘れて立ち止まり、その答えを探した。
「……彼らが売りたいと言ってきた本の検分をして、買い取りの値段を交渉するためです」
「そうだな。そう……たとえば《ウサギの庭》《うち》に置けば六レンス五シークの値がつく本があったとする」
 六レンス五シークといえばかなりの大金だが、おそろしいことに本の値段としてはこのくらいが相場になる。今更ながらとんでもない世界だなあと、まるで他人事のように考えながらマルタは先生の話を聞いた。
「利益を出すために小生たちはそれより安い値で買わないといけない。これは分かるな」
「はい」
「じゃあ逆に先方はどうだ?」
「……もし私だったら、できるだけ、高い値段で売りたいと思います」
「当然だな。あちらは高く売りつけたいが、こちらは安く買い取りたい。だから交渉が必要になる。話し合って、お互いが納得できるかたちになれば契約成立だ」
 さっき買い取ってきた本を入れたトランクをたたいて、先生がにい、と唇をつりあげる。先生は、見ているマルタがあっけにとられるくらい見事な手際で彼らの本を値切りまくっていた。もちろんそれらがすべて売れるわけではないけれど、店でつけられる値札の数字が予想できるマルタからしてみれば、ぼったくりに見えるくらいの安値がついたものだってある。
「それじゃあ、この交渉で損をしないために。古本屋はなにを知る必要がある?」
「えっと……その本がどのくらいの値になるか、お客さまがどのくらいの値で売りたがっているか……あと、店におなじような本がなかったかどうか……とか?」
「ふむ。三つ目はなかなか良い答えだったが、肝心のものが抜けているな」
「ええ? なにがたりないんですか?」
「そこから先は自分で考えなさい」
 相変わらず、肝心なところは教えてくれない。うう、とうなってしまったマルタを見てにやにや笑いを浮かべるんだから、先生は本当にひとが悪い。
「考えて考えて、答えが見つかったら次にやるべきことが分かるだろうさ。……さて、店に戻って本を仕分けなければな」
 今日は二と八の本がよくそろった、と満足そうにうなずいた先生は赤町に降りる階段を目指してすたすたと歩きはじめた。あんなに本がつまったトランクを持っているのに、いつもと変わらないスピードで歩いている気がする。
「先生の魔法って、重たいものでも軽々と持ち運べるとか、そういう魔法ですか?」
 そういえば先生が魔法を使うところを見たことがない。もしかしたらと思って言ってみただけだったのだが、振り返った先生の顔がめずらしく――本当にめずらしく、心底いやそうな顔だったので、マルタはぎょっとしてしまった。
「……どうしてそう思う?」
「いや、その。その鞄、すごく重そうなのに、かんたんに運んでるみたいに見えたので」
「……長いことこの仕事をやっているんだ、このくらいの量ならわけもない」
 帽子屋はいま、あからさまに不機嫌だった。これはひょっとして、いやひょっとしなくても、触れてはいけないことだったらしい。冷や汗が浮かぶんじゃないかというくらい肝を冷やしたマルタは、すっかり縮みあがってしまった。それにようやく気がついたらしい先生が「そんなに小生の顔がおそろしいか」と冗談めかしたけれど、はいそうですとも言えずにマルタが黙りこくってしまうと、決まりが悪そうにひとつ咳払いをして「それは悪かったな」とあやまってくる始末だ。明日は雨か霰でも降ってくるんじゃなかろうか。今日はすがすがしいくらいの洗濯日和だけれど。
「……しかし、魔法なのかと聞かれたのははじめてだな。見かけによらず、とはよく言われるが」
「ああ……今日、朝からサミーと会って」
「セイラーと?」
「はい。そのとき、セイラーが魔法を使ったから……なんとなく、魔法っていうことばが頭に残ってたのかもしれません」
 これは言い訳ではなく本当のことだった。広場で別れる間際、握手をしてくれと言ってサミーが右手を差し出した。マルタが首をかしげつつその手を握ると、彼はにっこり笑って魔法をかけた。
「先生は白町できっと、だれか知ってるひとと会うぜ。久しぶりの再会になるみたい」
「え?」
「そういう魔法なんだ。握手したやつのさ、すこし先の未来が分かるの。なんとなくだけどね。占い師みたいだろ?」
 白町に行かなくちゃいけない気の毒な先生に、ちょっとしたサービスだよ。そう言って赤い帽子を振ったサミーは小麦小屋のほうに行ってしまった。
 そのことを話しおえたころには、先生も普段どおりの帽子屋に戻ってしまっていた。
「しかし、今日会った人間に知り合いなんていなかっただろう?」
「はい。……以前つとめていたお屋敷に友人がいるので、彼女のことかと思っていたんですが。魔法でもはずれることってあるんですね」
「……まあ、最近はだれもかれもたいした魔法を授からなくなっているからな。むかしはもっと強い魔法使いがあちこちにいたものだ」
 その言いぶりがまるでおじいさんみたいだったので、マルタは笑い出しそうになるのを堪えなければならなかった。レイチェルの言うとおり、ちょっと先生のものいいは年寄りくさい。年上とはいえ、昔話をしはじめるほどじゃないと思うのだけど。
「そんなに強い魔法を使えるひとがいるんですか?」
「街をひとつ焼くくらいの炎を出したり、竜巻を自由に起こせる人間とは会ったことがあるな」
「……、……本当ですか、それ」
 ちょっとした風を起こしたり、ものを壊さずにはこんだり、すこし先のことが分かったり。その程度の魔法にしかお目にかかったことがないマルタにはおとぎ話にしか聞こえなかった。そんな魔法を使う人間が本当にいるのだろうか。
 唖然とするマルタを見て、ふとなにか思い出したように先生が色違いの目を瞬かせた。
「ああ、そういえばお前は――」
「……マルタ? マルタ・キッシェか?」
「え?」
 話の途中で、だれかにうしろから名前を呼ばれた。聞き覚えのあるような男の声に振り向いたマルタは、目を見開いたままことばを失ってしまう。
 旦那様、だ。
「どうして君がこんなところで……いやそれよりも、なんで君がお化け帽子屋ボギー・ハッター(ボギー・ハッター)なんかと一緒にいるんだ……!」
「なんか、ときたか。ずいぶんなあいさつじゃないか、子犬のパピーアール」
「パリーだと何度言わせれば……!」
 なにがなんだか分からずに、マルタは横からおろおろと突然はじまった言い合いを見守ることしかできなかった。口ぶりから察するに、どうやらふたりは顔見知りらしい。
 アール・パリー。以前レイチェルといっしょにはたらいていたお屋敷の旦那様だ。そういえばレイチェルも話をしていた。先月にはもうこちらへお戻りになっていたはずだ。
 どうやらサミーの魔法ははずれていなかったらしい。
「やれやれ、うるさい男と会ってしまったな。キッシェ、パリー卿とは面識が?」
「その……まえはたらいていたお屋敷が」
「……ああ、なるほど。たかだか服ごときでと思っていたが、愛妻家で子煩悩、奥方様とご子息相手にはめっぽう甘いパリー卿なら納得できる」
「あれは私がいないあいだ、ローズのやつが勝手に……」
「変わらず夫人には頭が上がらないとお見受けする。災難だったな、マルタ・キッシェ。屋敷さえまちがえなければ、おまえはまだクビになっていなかったかもしれないぞ」
「卿のそばにいることのほうが災難に思えますがね、役立たずのオルターウィリアム!」
 ふたりは仲が悪いのだろうか。さっきから先生と旦那様はずっとこんな調子で話をしている。しかも時折スラングまで混ざっているようだけど、これは聞かなかったことにしておいたほうが? ぐるぐるといろんなことがマルタの頭のなかで駆けめぐったものの、結局どうすればいいのかまったく考えつかなかった。それにしても、帽子屋と、彼とうわさになっているらしいマルタと、どこからどうみても貴族にしか見えないパリー伯爵。こんなに人の目を引く組み合わせはないだろう。マルタは泣きたい気にさえなってくるけれど、当のふたりは全然気にしていないらしかった。
「あの。先生と、旦那様は」
「……もう私は君の主人じゃないんだから、そんな呼び方をしなくてもいいのに。彼とはその……古い知人だ」
「パリー卿がまだ本当に子犬のようだったころからのつきあいだな」
「えっと、それじゃあ、幼なじみ……?」
「……まあ、そういうことにしておこう」
 いちいち引っかかるような言い方をする先生に、パリー卿は苦虫をかみつぶしたような顔をするのみにとどめた。マルタが横にいることを思い出してくれたらしい。
「しかし、帽子屋が女の子をひとりやとって連れ回しているとは聞いていたが。まさか君のことだったなんて。私が聞くのは失礼だとは思うが……あれから元気にやっていたかい」
「は、はい! ……あの」
「どうした?」
「……お借りしていた本は、旦那様――えっと、パリー様、の机に置いておいたんですけど、大丈夫でしたか?」
「ああ、そんなことか。大丈夫、ちゃんと受け取っているよ。……君だったら帽子屋の店なんかに行かなくても、やとってくれる家はたくさんあっただろうに」
 彼はだれにでもこんなふうにやさしいので、使用人たちのあいだでは評判の旦那様だった。奥様やぼっちゃまにはつきあいきれないが、旦那様のためだけにお仕えしているんだときっぱり言い切るひとだっていた。文字の読めるマルタにはこっそり本まで貸してくれたし、本当にいいひとだと思う。
 だからこそマルタは言えなかった。
「あれはお人好しがすぎて、たまに酷なことを言う」
 パリー卿と別れて赤いレンガばかりの町並みに戻ってから、すこし寄り道をして。店に戻る途中で先生がつぶやくようにそう言った。きっと先生はずっとまえから察していたんだろう。
 パリー伯爵のところの、魔法をもたない使用人がクビになった。そんなうわさが広まってからというもの、どこの屋敷にたのんでも、マルタはやとってもらえなくなっていた。よそものはやとわないことにしている、そうはっきり断られたこともある。
 西にかたむいた太陽が、空を真っ赤に燃やしていた。この時間になると白町の建物が桃色に染まってすごくきれいなんだけど、どうしてもマルタは振り向く気になれなかった。
「でも、先生。旦那様は、すごくやさしくて、いいひとなんです」
「知っているとも」
「……スラングにはちょっと驚きましたけど」
「そうだな」
まえを向いたまま知らないふりをする先生のうしろで、すこしだけマルタは泣いた。

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