• 帽子屋の誕生日

帽子屋の誕生日

大学の卒業制作として、「不思議の国のアリス」をモチーフに書いたお話です。児童書専門の先生のもとで制作したのもあり児童書ちっくな仕上がりですが漢字は気にせずごりごりに使ってます。

5.ウサギたちの暗号

 マルタがウィリアムの店ではたらきはじめてからも、しばらくのあいだは仕事を教わる日々が続いていた。
《ウサギの庭》の内装はちょっと風変わりだ。入り口の扉を開けるとまず天井まで続く壁際の本棚が視界のなかに飛び込んでくる。はじめて訪れるひとのほとんどが、手前の手すりには気づかないまま、その背の高い本棚に目を奪われてしまう。本当は手すりなどなかったらしいが、そのまま前進して足を踏み外す客が少なからずいたので、石工にたのんでつけてもらったのだと、昔語りをしながらウィリアムはにやにやしていた。きっと足を踏み外したというだれかを思いだしていたにちがいない。
 店をかまえるときに、すこし地下にもぐりこむよう掘り下げてもらったのだという。入ってすぐ右を向き四段、階段を下りたところにカウンターがあるのだけれど、そのうしろにも立派な本棚がおかれている。お客さんと話をするためのソファや先生の作業机もちゃんと店内にそなえられているが、とにかく書棚の数が多い。壁際の天井まである棚が五つ、マルタでもなんとか一番うえまで手のばせる棚が六つ。くわえて本を広げてみせるための台や備品をしまっておくための棚なども店の中につめこんであるのだ。どれだけ整頓していてもせま苦しく感じてしまうのは仕方のないことだろう。
 あわせて十一ある本棚とそれぞれの段には番号がふってある。しかしそれはお客さんが本を探しやすいようにつけているというわけではなかった。そもそも棚にはなにも書いていないから、番号があることすら知らないひとのほうが多いだろう。
 つまりこれは、店の人間だけが知っている暗号だ。
「三のG」
「国外の政治に関わるもの」
「つぎ。七十二のB」
古言語エインシェンテで書かれているもの」
 店の本は無造作に並べられいるようで、実は棚ごとに置くものが決まっている。書いてある内容で仕分けてあるから、となりあう本は大小ばらばらで、そのせいでますます乱雑に見えるのだろう。大きさはそろえないのかと聞くと、必要ないと即答された。
「客の大半は中身をたよりに本を探す。あとは書いた人間の名前だな。本の大きさを言ってくるやつもいないことはないが、記憶ちがいが多い。製本屋《ルリユール》のところでちいさくなる本もあるからな」
そうウィリアムは言うけれど、もうすこし気をくばってもいいんじゃないかとマルタは思う。ばれないようならいつかこっそり本をならべかえよう。そう一計案じているのも先生にはないしょだ。
「十一のD」
「……教会名義で発行されたもの」
「よろしい。宿題はしっかりこなしてきたらしいな」
 それを聞いてようやくマルタの肩から力が抜けた。棚の番号と、それに合った本の種類を覚えてしまうようにと言われてからずいぶん日があいてしまったけど、しっかり問題に答えられたからよしとしよう。
仕事が終わったあとでテストを受けるのは、今日で三度目だ。
「次はこっちだな」
 帽子屋が指さしたのは、机のうえに置かれた五冊の本だ。それぞれつくられた年代も中身もばらばらだというのは見なくても分かる。不合格をだされた二回のテストも同じことをされられた。
 本のよこにはメモがおかれていて、こちらにはまた別の本の題名が五つ列挙されている。やっぱり内容は統一されていない。
 出ている本は所定の棚にいれ、メモにある本は棚から取り出す。
 たったこれだけの問題だが、本の扱い方とどのくらい時間をかけたかも先生は見ているらしい。このまえふと振り返ったら、先生はぞっとするくらいの無表情で懐中時計を片手にマルタの作業を黙視していた。
 出ていた本を棚にしまいおえたマルタは、メモを確認しながら順に本をそろえていく。本を引き出すときは、背表紙のうえに指をひっかけてはいけない。そのほうがてっとり早く取り出せるのはたしかだけど、その分本が傷むのも早くなる。
 右どなりの本と、左どなりの本をすこし奥へと押し込んでから、つまみだす。ちょっとしたことだがこれが本を長持ちさせるコツなのだという。
 五冊全部を机のうえにならべ、ひとつ深呼吸をしてから先生を呼んだ。
「先生、終わりました」
「……若干きわどいが、時間のほうは合格だな」
 ぱちん、と懐中時計のふたをしめたウィリアムは、まず出ている本をたしかめ、そのあとマルタが本をしまいこんだ棚を見てまわった。まちがえてはいない、とは思うけれど、どうしても固唾をのんでしまう。ひととおり見終わった先生は、ふむ、と小さくつぶやいてからくるりとマルタのほうを振り向いた。
「一冊だけ棚にしまわなかったのはどうしてだ?」
「本がずいぶんと傷んでいるみたいだったので、さきに製本屋のところに持っていったほうがいいと思ったから、です」
 にらみつけるような先生と目があって、左胸をおさえつけたい気持ちでいっぱいだった。どっどっ、と音が分かるくらい心臓が鳴っている。かちこちと時計の針の音も聞こえた。まるで、マルタがはじめてこの店に来たときみたいだ。
「合格」
 先生のひとことが沈黙をやぶった。
「……へ?」
「その歳で、もう耳が遠いのか? 合、格、だ」
「……やっ、たあ!」
 めずらしくその場でぴょんと跳びはねたマルタに先生も目を丸くしたらしかったけど、三度目の正直といった具合で及第点をもらった彼女は、そんなことには気がつきもしていなかった。だって、むかしからあんなにきびしい先生が、合格だって!
「そんなにうれしいか?」
「はい!」
「それならご褒美はいらないか」
「えっ?」
 先生がにんまりと左右色違いの目を細めると、まるでネコが笑っているように見える。というのも、はたらいていたお屋敷で飼われていたネコが、ちょうどこんな目の色をしていたのだ。青と金の目をもつネコは縁起物だからと、奥様が熱心にかわいがっていたダイナという名前のネコは、そのおかげでぷくぷくとよく肥えていた。からだもでかいしおまけに態度もふてぶてしいが憎めない、と使用人のあいだでも愛するべきマスコットとして扱われていた。
 心臓が強いところなんか、ちょっとにているかもしれない。そう思ったのも絶対にないしょだ。
「ついてきなさい」
 手にランプを持った先生は、中庭や台所のほうへ出る奥の扉を開けて、すたすたと先へ行ってしまった。はっと我に返ったマルタも壁にかけていたランプをとって、ぱたぱたと先生のほうへ小走りした。店じまいをしてだいぶ経つ。部屋を照らしていたのはふたつのランプだけだったから、先生とマルタがそれを取ってしまうと急に暗くなる。
すっかり日も暮れて、空には三日月が浮かんでいた。中庭を抜けて階段から二階に上がると細長い廊下に出るが、この先にあるふたつの部屋には入ってはいけないと言われていた。
「手前は小生の寝床だ」
 まちがって入るなよ、と釘をさしながら先生は奥の扉のまえに立ち、上着のポケットから鍵をとりだした。かちん、と錠をはずした音がちいさく響く。
「おまえなら気に入ると思うが、さて、どうだろうな?」
 マルタにドアをあけるよう促して横にのいた先生は、まだにやにやと笑ったままだ。なんだか薄気味悪いなあと思っていたマルタは、おそるおそるドアノブを回してなかを照らしてみたとたん、「わあっ」と歓声を上げた。
「ここにあるのは小生の私物だ。好きに借りて、好きなだけ読むといい」
 壁をすべて本棚で隠しているのか、そもそも壁を本棚にしてしまっているのか。部屋の四方が上から下まで、本で埋めつくされている。窓のところだけ棚がとぎれているのが不自然に思えるくらい、その部屋は本だらけだった。床が抜けるんじゃないかと心配にさえなってくる。
 窓際の丸テーブルに浅く腰掛けた先生は、やっぱりまだにたにた笑いのままだったけど、それも全然気にならなくなっていた。
 赤町の人間は全員字を読めるわけじゃないし、そもそも本は値段が高い。読む機会すらないひとのほうが多いくらいなのだ。
「本当にここの本、読んでもいいんですか?」
「持ち主がいいと言ってるんだ、いけない道理はないだろう」
「ありがとうございます!」
 こんな豪勢なご褒美はそうそうない。マルタが満面の笑みを浮かべて頭を下げると、帽子屋もさらに笑みを深めて言い放った。「つぎは接客の練習だな、マルタ・キッシェ」
「……はい、先生」
「いい返事だ」
 これじゃあまるで読み書きや算数を習っていたころとおんなじだ。そんなことをマルタがつぶやくと、先生はおかしそうにくつくつと笑った。
「当たり前じゃあないか。人間はいくつになっても勉強しないといけないものだ」
「おとなになってもそうなんですか?」
「もちろんだとも。覚えないといけないことが、子どものころとはちがうだけ」
 だれも教えてくれないことを勉強しなくちゃいけなくなるのさ、と詩をそらんじるような調子で言う先生はとてもうさんくさいし、それにいじわるだ。街のひとたちが彼を嫌う理由だってなんとなく分かるようになってきた。
 それでも憎めないひとだなあと思うあたり、やっぱり彼はダイナににているのかもしれない。
「……ああ、それとひとつだけ」
 帰りがけ、書室の合い鍵をマルタに渡した帽子屋がつまらなさそうな声で言いつけた。
「入って左の奥に、青い背表紙の本がならんでいるが。そこだけはさわらないように」

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