• 帽子屋の誕生日

帽子屋の誕生日

11.帽子屋の誕生日

 魔法をもらった日のことは覚えていない。
 ウィリアムが生まれたのは帝暦七〇八年の秋だった。帝国が周辺諸国を属領としていた時代。ウィリアムの両親は王都より南、豊かな地方都市を治めた領主だったという。国境から離れていたせいもあってが、当時としてはずいぶん平和な街だったようだ。
 帽子屋は幼い頃の記憶がほとんどない。自分の故郷はいまも変わらず同じ場所でそこそこの発展をしているらしいが、帰りたいと思ったことは一度もなかった。ただ、だれかにだっこをねだった記憶だけ、離れ小島のようにのこっている。目線の高さからいえば、きっとあれは南にいた頃の記憶にちがいない。ねだった相手は男だった気がするが、それが父親なのかどうかすらあやふやだ。帽子屋の記憶がこれほどあいまいなのは、ひとえに彼が授かった魔法のせいにほかならなかった。
 ひとりにひとつ。自分だけの魔法を七歳の誕生日に授かるという風習は、帝国からきたものらしい。ウィリアムも七歳の誕生日に、聖堂へおもむき、自分にひとつだけの魔法を授かった――。
 ここからさきは、あとから親族に聞いた話だ。
 魔法を授かったと同時に、ウィリアムは赤ん坊にもどってしまったらしい。
 両親も神官も、なにが起こったのか分からないままただ愕然としていたそうだ。結局赤ん坊からもとの姿にもどることはなく、両親はもう一度ウィリアムを乳飲み子のころから育てなおした。そしてその七年後の誕生日、ウィリアムはまた逆もどりした。
 育ててはまたもどり、育ててはまたもどり。気が狂いそうな年月を過ごした両親は、三度目の逆もどりで息子の魔法がなんなのかを理解した。
 七つ歳を取るごとに、六年分。からだの時計が巻きもどる。
 ウィリアム本人がこの魔法を自覚しはじめたのは、生まれてから五十年ばかり経ったころだった。七度目の巻きもどしで、七歳のからだにもどったそのときにはもう、両親ともに他界していた。
 からだだけではなく、記憶もおなじように巻きもどる。ウィリアムは巻きもどってからの一年間しか記憶をとどめていられない。ウィリアムの頭のなかでは、一年ごとに自分以外の人間が七つ歳を取っているような具合になる。
 十四回目の巻きもどりのあと、親族が書き続けた日記といっしょに、彼は遠い血縁に引き取られて王都に移り住んだ。姓がオルターに変わったのもそのときだ。
 彼を引き取った血縁は、変わり者で有名な男だったらしい。南の親族たちから疎まれていたウィリアムを、嬉々として拾い上げるくらいだから、その風評は正しかったのだろう。聞けば親族たちに日記を絶やさぬよう言い続けたのは彼だったそうだ。おかげでむかしを知る引き出しには困らなかった。王都に移ってからは言われるまでもなく、自分で日記を書くようになっていた。
「記憶が巻きもどるのは不幸中の幸いじゃあないか」
「人間のちっぽけなからだに、五百年の思い出なんてつめこんでみろ。すぐに気がおかしくなってしまうさ」
「からだひとつきりで覚えてられるものなんて、たかがしれてるのさ」
 日記のなかに書かれていた養父のことばに、なるほどなと思ったのは覚えている。
 だから彼は日記を欠かさない。こうしておけばなにも置いていかないですむ――。
「お誕生日おめでとうございます、先生」
 だれかに呼ばれたウィリアムは、その声で目がさめた。ずっと夢を見ていた気がするのに、どんな夢だったのかは思い出せない。ぼうっと天井を見つめていたら、もう一度おなじ声が同じ台詞をはいてきた。
「お誕生日、おめでとうございます、せ・ん・せ・い!」
 おもいっきり耳もとで叫ばれたものだから帽子屋も堪らず飛び起きて、先生と呼ぶ彼女の姿を色違いの目に映し込んだ。
 だれかに似ている気がするが、さて一体だれだったか。眼鏡がないからすこしぼやける視界の真ん中で、彼女がみずから名乗り上げてくれた。「算数が苦手でいつもうじうじしている、マルタ・キッシェです!」
「……マルタ・キッシェ? 靴屋の二階の?」
「靴屋の二階で暮らしてる北の生まれのマルタ・キッシェです! 目が覚めましたか先生!」
 そこまで言われてようやくウィリアムは、今日が二十八回目の巻きもどりの日なのだと理解した。しかし、だったらなぜ彼女はここにいるのだろう。巻き戻りの日から一週間は、だれも入れるなと「パリー伯爵にたのんで入れてもらいました! ここ半年で先生がどんな仕打ちを私にしてきたか、それを話したら笑顔で入れてくれました!」マルタの声が帽子屋の思考をさえぎった。
 ひょっとして、いやひょっとしなくても、マルタは怒っているのだろうか。いつも階段のすみにすわって文字ばかり追っていたあのマルタが? これは一体なんの冗談だ。そうウィリアムが思ったところで、憤然とした彼女はちょっと止まりそうになかった。
「ちょっと待ってくれないか、マルタ。パリーが入れたのなら、事情は知っているんだろうが……パリーが入れた? 本宅ここにか?」
「先生がいけないんですからね! 《ウサギの庭》で半年間、ずっと先生といっしょに仕事してたのに! 自分が全部忘れるからって理由も言わずにクビにして、白町の家に引きこもって……」
「待て、殴るな。落ち着けマルタ! 小生はなにも覚えてないんだぞ!」
「それがなんだっていうんですか! このくらい甘んじて受けてください! 先生のあほ、ひとでなし、この……役立たずのウィリアム!」
 ぼかぼかと容赦なく殴ってくるマルタの口からはにスラングまで飛び出す始末だ。彼女の目には涙が浮かんでいるし、一体どうすればいいのかウィリアムには見当がつかなかった。
「……やれやれ。あのマルタ・キッシェが、こんな娘になるとはな……」
「先生のせいですもん。先生が私をこんなふうにしたんですから、責任取ってください」
「……、……男の寝室で、そういうことを口にするのはいかがかと思うが?」
「先生みたいな年寄り、好みじゃありません。それにうそだと思うなら青表紙の日記でも読んでみればいいんじゃないですか」
 泣きはじめた分、さきほどのような勢いこそなくなりはしたが、マルタのことばにはまだとげがある。
「……せめて、どうして怒っているのかくらいは聞かせてくれないか? マルタ」
 困り果てたウィリアムがせいいっぱいやさしくたずねても、マルタの目尻はつりあがったままだ。どうやったらあのマルタをここまで怒らせられるのか、記憶にもない数日前の自分にたずねたいくらいだ。いったい何をしたっていうんだ、小生は。
「だって。先生はひどいです。先生が全部忘れるからって、だれも先生のこときらいになったりするはずないじゃないですか。なのに先生、勝手に屋敷のなかに逃げちゃって。そりゃ日記に書いておけば、ずっと消えないからいいかもしれませんけど。私も、サミーも、テッドたちも、パリー伯爵も、みんな先生のこと覚えてるのに! 話してくれたら……聞いてくれたら、どんなことがあったかくらい、いつだって教えるのに!」
ばかにしないでください、そう言って嗚咽まじりに叫ぶマルタに、ウィリアムは勝てそうになかった。
「……悪かった。反省している」
「本当ですか」
「本当だ」
「だったら、さっさとため込んだ日記でも読んで、仕事にもどってきてください。先生がいないあいだも、店あけちゃいますからね」
すっくと椅子から立ち上がり、マルタはつかつかと部屋を出て行ってしまった。まだベッドからおりてさえいないウィリアムは、しばらく呆然と扉を眺めたあと、もういちど布団のなかへ逆もどりした。
「まったく……いつのまにやら大きくなって」
とんだ誕生日になってしまった。寝っ転がったまま、そうひとりごちたウィリアムは、いつのまにかけらけらと笑っていた。
 
 結果としてマルタは、見事二度目の失業生活に幕をとじることができた。
 六年間の記憶はなにもないという先生だが、一週間閉じこもってもどってきたときには、ほとんど困らないくらいになっていた。子どもたちの名前と顔を間違えるようなこともしないし、棚にある本のタイトルも把握している。もともと変わり者あつかいされている先生だ、多少の矛盾があっても帽子屋だからの一言で済まされる。
 分かりやすい変化といえば見た目が若返ったことくらいだろうが、なにせ帽子屋は着ているものが派手だから、みんな顔に目が行かないらしい。もしかしたらそれを狙ってこんな服ばかり着ているのかもしれない。
「あっれ。帽子屋先生とキッシェ先生じゃないか」
 赤いキャスケット帽をはずしておじぎををするサミーに、先生もハットを取っていつもどおりのあいさつをする。
「久しぶりね、サミー。調子はどう?」
「全然だめ。やっぱり毎週広場に行かないと調子が狂っちゃうよ」
 ほとんど毎週行われる週末の教室だけど、冬場だけは集まらないことになっている。この寒さのなかで勉強をやるのは正直しんどいし、本格的に冬がやってくると雪かきに追われてだれも勉強どころじゃなくなるのだ。かわりに先生が一冊ずつ本を貸し出して、それを読んでくるようにという冬休みの宿題がでる。
「宿題の本も読み終わっちゃったし。さっさと春になればいいのになあ」
「先生の一番弟子だもんね。春からもしっかりしなきゃね、サミー」
 マルタがそう言うと、サミーは心底不思議そうな顔で「なにいってるの、キッシェ先生?」と聞いてきた。
「帽子屋先生の一番弟子は、キッシェ先生だろ?」
 マルタの頬が、リンゴみたいに真っ赤になった。

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