• 帽子屋の誕生日

帽子屋の誕生日

2.魔法使いの国

 毎朝マルタは、時計守が八時の鐘を鳴らすよりも先に家を出る。今日も二階を間借りさせてくれている靴屋の主人にいつもどおりの挨拶をしてから、先生の店へ向かう支度をはじめた。
「今日はちょっとお天気が悪いよ。傘を持っていきなさい」
「ありがとう、おじさん」
 ことばのとおり天気はあいにくのくもり空だった。目の前の水路も水かさが増している。これは間違いなく降りそうだ。濃い灰色の空を眺めて、マルタは肩をすくめた。天気が悪い日はどうしても気が滅入る。気を取り直すように一度息を吐いてから、マルタはレンガだらけの街を歩き始めた。
 水路ぞいに城の方へ向かって、途中で橋をわたり、そのまま真っ直ぐ細い道をすすめば、商店の立ち並ぶレンガ通りに出ることができる。――下町の建物はどこもレンガ造りが多いのだが、レンガ通りといえばだいたい、王都でいちばん人の集まるこの通りのことをさす。マルタの勤め先、つまりウィリアムの店があるのもこの大通りだ。
 まだどこも店開きいう時間ではないが、すでにちらほらと忙しなくはたらく人の影はある。どこからともなく朝食のいい匂いもただよってきて、しっかり食べたはずなのに口寂しい心地になる。
 向かいのほうから子どもがふたり、水桶を提げて元気いっぱいに走ってくるのが見えた。見知った相手だったので、マルタのほうから歩みを止める。テッドとニーナ、宿屋の家のきょうだいだ。
「おはよう、ふたりとも」
「マルタ姉ちゃん! おはよう!」
「おはよう、おねえちゃん。ねえ、聞いて? おにいちゃんったらひどいんだよ」
 つかまってしまったな。そう思いつつ振りほどけずに、スカートをつかむニーナの頭を撫でながらマルタは話の続きをうながした。いつも余裕をもって家を出ているから、少々ここで時間をとられても平気だろう。
「おとといからね、ずっと魔法のじまんばっかり! なのにぜんぜんニーナにはみせてくれないの!」
「ニーナだって、あと二年すればちゃんともらえるだろ!」
「あら。おとといが誕生日だったの? 遅くなっちゃったけどおめでとう」
 お祝いのことばに、七歳をむかえたばかりの少年は、鼻をこすりながらてれくさそうに笑った。
 この国のひとたちは、自分だけの魔法をひとつ持っている。
 それはどんなに貧しい人間でも変わらない。七歳の誕生日を迎えた子どもは親や周りの大人たちに手をひかれ、広場の先にある聖堂に向かう。そこで祝福の言をいただき、魔法をひとつ、神様から授かるのだという。
 魔法は本当に人それぞれだ。ただの特技といってもさしつかえないほど些細なものから、マルタには手品にしか見えないことをやってのけてしまうものまで。この国のひとびとは何かしら、かならずひとつ魔法を持っている。
「ジルたちには見せびらかしてるの、知ってるんだから!」
「ああもう、うるさいなあ。分かったよ、マルタ姉ちゃんもいるし、とくべつだぞ」
 見てろよ、と言ってテッドは両腕をぐっと上げた。まるでバンザイをしているみたい。どんな魔法なのかとその様子をじっと見ていたマルタは、こっそりニーナが距離をとっていたことにも気がつかなかった。
「そー…れっ!」
「ひゃああっ!」
 テッドが手をおろしたとたん、びゅんっと強い風が吹いて、マルタの黒いスカートをべろっとめくりあててしまった。思わず叫んでしまったせいで、そばにいた人たちも驚いて三人のほうを振り返る。スカートを手で押さえたマルタの顔は火がついたように真っ赤だった。
「こら! テッド!」
「姉ちゃんが怒った!」
「そら逃げろう!」
 悪びれもせずに笑いながら、子どもたちは水汲み場に向かって駆けていってしまった。どこかからくすくすと笑う声が聞こえて、マルタは顔を手で覆い隠してしまう。穴があったら入りたい気分だ。まったくあの二人は、いたずらをするときばっかり仲がいいんだから。
「……魔法、かあ」
 ぽつりとつぶやいてから、マルタもその場から逃げるように、ウィリアムの店へ向かった。
 マルタには、魔法がない。

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