• 帽子屋の誕生日

帽子屋の誕生日

6.赤い帽子

「キッシェ先生がおめかししてら」
 水路のわきでマルタに話しかけたのは、いつも週末に広場へくるパン屋の息子だった。名前はサミー。いま帽子屋のところに通っている子どものなかではいちばん年上の男の子だ。マルタがふりかえると彼は赤いキャスケット帽をとって、まるで役者のようにぺこりとおじぎをしてみせた。大仰なあいさつに、マルタもくすりと笑ってしまう。
「おはようサミー。小麦小屋に行くところ?」
「そう。キッシェ先生は? ……ああ、帽子屋先生とデートかな」
 野暮なこと聞いちゃったね、と指にひっかけた帽子をくるくると回しながら冷やかすサミーの物言いは、よくもわるくもどこか先生ににていると思う。きっと意識してやっているんだろう。サミーは好奇心のかたまりみたいな子どもだから、いろんな話を聞かせてくれる帽子屋にあこがれているらしかった。いつも帽子をかぶっているのも彼のまねかと思えばほほえましい。
 赤町育ちらしい荒っぽさも目立つが、あたまもいいし、年下の面倒もよく見ている。週末にあつまる子どもだちのリーダーみたいな存在だ。先生の一番弟子といったところだろう。
 最近になってようやくマルタにも、それぞれの子どもたちがどんな性格で、なにが得意で、なにが苦手なのか、そういったことがだいたい分かるようになってきた。アレックスは引っ込み思案でしゃべるのが苦手だけれど、数の計算はまちがえない。それとは逆に、ニーナと仲の良いアンジェラは、算数の時間になると居眠りばかりするけれど、だれよりも詩をよく覚えている。テッドはあまり勉強が得意じゃないみたいだけど、びっくりするくらい絵が上手い。このまえ蝋板に落書きしていたネズミの絵を見て、叱るより先にほめてしまった。そのあとしっかり先生が、テッドの頭をたたいていたけれど。
 こうしてみると本当にいろんな子どもがいる。帽子屋といっしょに広場へ通うようになるまでマルタにはあまり年下の子と話す機会がなかった。だから見ていてとても新鮮だ。
 サミーの向かう小麦小屋は聖堂のすぐそばに建っている。今日は広場に来るようにと先生に言われているから、ふたりの行き先はほとんどいっしょだ。マルタとサミーはいつのまにかならんで歩きながら話をしていた。
「デートだったら、もうすこし気楽だったかもしれないわね」
「なんだ先生、叱られにいくのか?」
「ちがうけど、にたようなものかも。お仕事で白町に行くの。オルター先生といっしょにね」
 ため息まじりにそう答えると、「うえっ」とうなったサミーがすごくいやそうに顔をゆがめた。
「先生、ゴシューショーサマ。お上品な仕事やってると大変だよなあ、白町うえの連中とつきあわなくちゃいけないなんて。俺、あっちのやつらすっごくきらいだから尊敬しちゃうや」
「……サミーは正直者ね」
 ちょっと正直すぎるかもしれない、とまでマルタには言えなかったので、あいまいに笑うほかない。サミーのほうはそんなマルタを見ても悪びれるどころか、おもしろそうにふくみ笑うんだから、仕方のない子だ。こんなところまで先生のまねをしなくてもいいのに。
「キッシェ先生はあいつらのこと好き?」
「そうね。……きらいではないけど、ちょっと苦手かな」
「苦手」
 マルタのことばを一度くりかえしたサミーは、すこし考えたあとで「なるほどねえ」と訳知り顔でうなずいた。彼はマルタより四つほど年下なのに、ずいぶんとおとなびているように見える。
「キッシェ先生は服も控えめだけど、言うことも控えめだなあ。白町ってろくなやついないじゃないか。ああ、もちろん帽子屋先生は例外だけどね」
 ウインクをしてみせるサミーに、おや、とマルタは首をかしげた。たしかに先生の話はおもしろいけど、サミーが先生になついているのは、彼の出身を知らないからだと思っていた。
「オルター先生が白町のひとなのは知ってたんだ?」
「当たり前だろ先生。着ている服は上等だし、本を売り買いして商売しようだなんて赤町の人間が思いつくはずないじゃないか」
 言われてみればそのとおりだ。十一のサミーに笑われて、ちょっとまえまで気がついていなかったマルタとしてはきまりが悪い。こんなにしっかりした子どもを相手に、私なんかが勉強を教えていいのかとさえ思えてくる。
「でもサミーは、オルター先生のことはきらいじゃないのね?」
「うん、帽子屋先生はほかのやつらとちがって……ええっと、紳士的だからさ」
「……むずかしいことばを知ってるのね」
 思わずもれた苦笑いに、「ばかにしてる!」とサミーはくちびるをとがらせた。すかさず「ごめんね」とあやまったけれど、先生が紳士的だとは、どうしてもマルタには思えなかった。
 教養あるひととのつきあいなんて、マルタにはほとんどない。だけど彼女もほかのひとと比べて多少は本を読んでいる。……紳士ということばが、女性をおいてさっさと先に歩いていったり、にやにやと笑いながらいじわるを言うひとのことを指すだなんて、いままで読んだどの本にものっていなかったはずだ。
 生まれが生まれだし、マルタは小さい頃のことも帽子屋に知られている。いまさら先生にレディとして見てくれと言うほうが無茶な話だし、そもそも考えたことすらなかった。だけど、先生がいわゆる紳士に当てはまるかと問われると、沈黙せざるをえないような扱いをされている自覚はあった。
「帽子屋先生は紳士的だぜ、キッシェ先生」
 水路に飛んできた白い鳥をながめながらもう一度そう主張したサミーに、どうしてそう思うのかマルタはたずねて、そしてすぐにどきっとしてしまった。彼のにんまりした顔が、あまりに先生そっくりだったからだ。
「帽子屋先生はちゃんと理由をきいてくれるし、俺らみたいな赤町の子ども相手にだって、授業のときはかならず帽子をはずすんだからね」
 キッシェ先生もまあまあ紳士的だね、とサミーは言いながら、キャスケット帽をくるくると回している。
「……女性には、淑女ってことばを使うのよ」
「……それは知らなかったな」
 肩をすくめるサミーの帽子は、目に痛いくらい赤かった。

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