• はこにわのつくもがみ

交錯

  • へしさに
  • 捏造
  • BL表現有
  • さにんば
  • クロスオーバー

 咲楽守が男に呼び降ろされ、山姥切国広としてその本丸に顕現した時、そこには既に二十一の見立てのいのちが付喪神として生活していた。なぜこうも正確な数を覚えているかといえば、顕現してすぐに堀川国広が、屋敷を案内する合間に話して聞かせてきたからである。大太刀二人、薙刀と太刀がそれぞれ一人ずつ。打刀は六人。脇差は堀川の他に二人いて、短刀が八人。他の審神者の所には彼等と縁のある山伏国広もいる様子だが、この本丸にはまだ来ていないのだと、堀川が話をしていたその時だ。
「おや、新入りさんだ」
 若い娘の声だった。声のした方を二人で見やると、濡れ縁の脇の茂みから、白い小さな虎を抱えた娘がひょこ、と姿を現した。
「そんな所で何してたの、ものつきさん」
「ごっちーの虎を探してたんだよ。こいつ、すぐに他の子たちから離れてかくれんぼするからさ。それよかほりくに、そのお兄さんの紹介はしてくれないのかい?」
 口元にかすかな笑みを浮かべ、ゆるく首を傾げると、肩の上で切りそろえた白橡色の髪が小さく揺れる。巫女装束に身を包んではいたが、涼しげな目元とほっそりと整った顔立ちだけを見ると、男の児と言われても信じてしまいそうな娘であった。
 堀川が言うより先に、彼は自ら、その頃はまだ名乗れる名前を娘に告げた。
「……山姥切国広だ」
「おや。ほりくにの兄弟だ」
「あはは、僕が本物の国広だったらそうだねえ」
「分かんないならそういうことにしておけばいいんだよ。誰も文句言わないって」
 淡泊な表情は人形めいて見えるが、存外よくしゃべる娘だと思ったのを覚えている。  ――その本丸には、主と、付喪神を名乗るいのちの他に、もうひとり。人の娘が暮らしていたのだ。
「……あんたは?」
「この本丸に居候させてもらってる一般人。ふらふら遊んでるだけの人間だけど、まあ、適当によろしくね、ばっきー」
「…………」
 彼女は、屋敷に住む刀達から、ものつきと呼ばれていた。
 
 
 
「おや。起こしちゃったかな」
 背中の方でもぞもぞと何かが動いている。その気配で彼が目を覚ますと、斜め後ろから審神者が小さく笑いながらそう声をかけてきた。  縁側の角、軒天井を支える柱にもたれて、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。上体を起こし振り向けば、ちょうど審神者が彼が身に纏っている白い布に腕を潜りこませて、虎を一匹抱え上げたところであった。
「五虎退の虎、か」
「そ。ごこちゃんが探してたからね、お手伝い」
 そんな会話がいつかの記憶と重なって、彼は二の句を思いつけずに、ついその口を噤んでしまう。それをどう捉えたのか、腕の中の虎を撫でながら、審神者はゆるりと首を傾げてみせた。
「……何かお邪魔しちゃったかしらね?」
「何の話だ?」
「やあ、夢で師匠と会ってたりしてたのかと」
「ああ……いや。今はただ、眠っていただけだ」
「そう? それならいいんだけど。さっちゃんが珍しく、縁側で寝てたからさ」
 ふふ、とかすかに笑いながら、審神者は腕の中の虎を白魚の指でくすぐっている。
 彼は主から咲楽守国広という新しい名を与えられた後、主と娘の連絡手段という建前で、この本丸に預けられている。付喪神ではなく異形の男の眷属として生きる咲楽守が、時折夢の中で主と顔を合わせていることを彼女も知っているので、成程、眠る彼の姿を見てそう思ったのだろう。
「最近、師匠は元気にしてる?」
「あいつが元気にしてないところなど想像できるのか?」
「出来ないから聞いてるの」
 そんな軽口を審神者が転がしたところで、「主様!」と幼い声が庭から上がった。足元に四匹の虎をつれた少年が、ぱたぱたと掛けてくる。
「やっほ、ごこちゃん。虎くんいたよー。布の下でかくれんぼしてた」
「あう、す、すみません、山姥切さん……」
「構わない、気にするな」
 それじゃあ行こうか、と五虎退に言いながら審神者は沓脱ぎ石の上に揃えていた草履を履き、ゆっくりと立ち上がった。彼女が近づくと、虎たちはなあんと鳴きながら緋袴の回りをくるくると回り出す。どうもこの娘は、動物によく好かれるらしかった。
 抱いた虎を五虎退に渡した審神者が、くるりと振り向き、淡く微笑む。
「お昼寝の邪魔して悪かったね、ばっきー」
 ――人形めいた中性的な顔立ちに、肩の上で切りそろえた白橡色の髪。この審神者は間違いなく、主の本丸でものつきと呼ばれていた娘であった。
 主の本丸にいた間のことを、何ひとつ覚えてはいなかったが。
 
 
 
「他のことなら、余計なことまで覚えてるんだけどなあ」
 そう言って、こてんと首を傾げてみせた男こそが、咲楽守の主であった。
 普段は人間の男と区別の付かぬ姿をしている主は、夢の中だけは何ひとつ隠すことなく、本来の彩をさらけだす。真珠よりも白い真っ白な髪に、朱と金を混ぜ合わせたような妖しい色の双眸。とはいえ豹変するのは色彩ばかりで、男の造形そのものは、かつて本丸で見ていたそれとなんら変わりがない。とりわけ醜い訳でもないが、美しく整っている訳でもない。それでも本性を現している間の彼にはどことなく艶がある。それが咲楽守には不思議だった。
 主が人ではない生き物であることを、山姥切国広であったころの彼は知らぬまま過ごしていた。はじめのころは面白くないと思っていたが、桜の香りを引き連れて夢を渡ってくる主と顔を合わせるうちに、やがてどうでもよくなった。何せ主のありのままの姿をこうも何度も見ることができるのは、男そのものの唯一の眷属であるからに他ならないので。
 主はおよそ嫌悪という感情から縁遠く、誰にも彼にも穏やかに接する男だが、わかりやすく特別扱いをする男でもあった。付喪神たちの中でいえば、加州清光や薬研藤四郎、今剣などの古株に当たる者達が明確に重宝されていた。だがしかし、本丸で新たな名を与えられた命は、咲楽守の他にはいない。彼は他の付喪神たちとは違う形で、彼の懐の中に迎え入れられたのである。そう思えば胸のすく心地がした。
 無論、彼等とは違う形で特別扱いを受ける者達もいる。主付きの担当であるところの役人を主は気に入っているようだったし、だれよりもいっとう目をかけているとすぐに分かるのが、彼がいま身を置いている本丸の審神者であった。
「そもそも、あんたと彼女はどういう間柄なんだ」
「どう、と言われるとなあ。悩むんだが、まあ……本丸に来る前から、あいつとはそれなりの付き合いがあったんだ。知り合いにいろいろと頼まれて、……あの子のゆく末を見守る、そういう約束をしていた」 「していた?」
「一旦は終わった話だったんだよ。終わったと思ってたって言った方が正しいのか? まあ、なんやかんやで結局そのまま付き合いは続いちまってるんだが……あー、二〇〇年くらい前の話なんだけどな」
「待て。なんでいきなり話が飛んだ」
「と、思うだろ? 飛んでないんだな、これが。俺とあいつが初めて会ったのは、二〇〇〇年代の初めの頃でな」
「は?」
 思わずぽかんと口を開けた咲楽守に、「まあ、そうなるよなあ」と主はのんびりと呟いてから、言葉を続けた。
「人間としては結構な厄持ちでな。こっち方面の力が強かったうえに生まれが特殊で、どこに行ってもやたらと目をつけられるようなやつだった。俺はたまたま、隣の家で暮らしていて……力の強い人間は、俺たちの世界にも少なからず波風を立てる。だから近場にいた俺に、白羽の矢が当たったのさ。以来、彼女が死ぬまでの間、保護者の代わりみたいなことをしていてな」
「死んだだと?」
「まだ不惑をすぎたころだったんだがなあ。病を患って……本人は笑いながら、案外長生きできたなんて言ってたけどな。穏やかな最期だったよ」
「それがなぜ、いま?」
「俺が審神者になる四年前。道端でばったり、あいつと出くわした」
「……は?」
「俺も驚いたよ。目が合った瞬間、あいつはあいつでうわあって顔して。……あいつは、記憶と姿と力をほとんどそのまま持ち越して、ふたたび浮世に生まれ落ちていた。まだ全部思い出した訳じゃないらしいが、それでも二十歳頃までの記憶はある。流石に俺もあいつも、そのままハイさよならとはできなくてなあ。何かか作用したと思う方が自然だろう? ……あいつの方から、弟子入りさせてくれと言われて、俺たちは二〇〇年経ってから師弟の間柄になった」
「……あいつがあんたの本丸にいたのは、弟子として一緒についてきたからか」
 いいや、違うと言って男は首を振る。
「違うとはどういうことだ」
「……お前がいま暮らしている本丸のあいつは、間違いなく俺の弟子だ。生まれ変わってもなお縁が途切れぬまま、何のつもりか分からんが白々しく俺を師匠と呼ぶ……まあ愛弟子と言っておこうか。……俺の本丸にいた頃のあいつは、俺を師匠なんて呼んでいなかっただろう?」
 思い返してみれば、確かに主が師匠と呼ばれるのを、彼はあの本丸で聞いたことがない。彼女はいつも主のことを「しろうさん」と呼んでいた。聞けばその名は、主が人の世で生きる時に使っている、仮初の名前なのだという。
「……それは、つまり……どういうことだ?」
「おまえたちは今、過去に飛んで戦っているな?」
「? ああ……」
「あいつは、逆だった」
「……まさか」
「そのまさかだよ。あいつは、二〇〇年前……正確にいえば、一九〇年前か。俺が預かって面倒をみていた頃のあいつが、どういうわけか、俺の本丸に落っこちてきたんだよ。……その後のことは、お前も知っての通りさ」
 
 
 
 主の本丸でも、へし切長谷部はあの娘と共にいた。
 四六時中べったりと離れずにいた訳ではない。ただ、へし切長谷部の姿が見えぬ時には、ああ、またものつきと碁でも打っているのだろう、と皆が口を揃えて言うほどに、ふたりが共に在ることを誰もが当たり前のよう思っていた。咲楽守が山姥切国広として主の本丸に顕現した時にはもう、ものつきとへし切長谷部の間には例えがたい、どこか特別な空気が流れているようだった。そんな様子だったから、一体いつから彼等がそうであったのか、咲楽守はよく知らない。ただ、よその本丸のへし切長谷部の噂を耳にして、主以外の人間に寄り添う個体は珍しいのだと理解はしていた。うちの長谷部は少し風変わりらしい、といって主が苦笑いをしていた記憶がある。
 思えば、あの頃からものつきも、風変わりな娘であった。
 主もそうだと言ってしまえばそれまでなのだが、主と違いものつきは、紛うことなく人の娘であった。つくりものめいた中性的なかんばせにそっと浮かべるだけの淡い表情、その薄い唇から紡ぐ言葉は飄々としていて、何を考えているのかよく分からない。人ではないと言われても信じてしまいそうだと、いつだったかに彼は思った。影が薄いわけでもなく、しかし目の前で話していてもとらえどころのない、まるで不知火のような気配の娘。隠れるのが得意すぎるのだ、とやはりその時も主は苦笑いをしていた。
 その日も彼女はいつものように、朝、数人の付喪神たちとひとこと、ふたこと。多愛ない言葉を交わしたかと思えば、ふらりとどこかに姿を消した。よく見れば非番であるはずのへし切長谷部の姿もなく、ああ、また二人で碁でも打っているのだろうと、そう、皆が思っていたのだ。昼餉をすぎても、日が暮れても、一向に二人が部屋から出てくる様子がないと誰かが気がつくまでは。
 もぬけの殻だったのだ。
 ものつきが使っていた部屋にも、長谷部が使っていた部屋にも二人はおらず、屋敷のどこを探してもふたりは見つからなかった。よくよく見れば長谷部の部屋は異様に整えられており、更に荷物を改めると、短い文が残されていた。申し訳ありません、とただ一言、謝罪するだけの美しい文字。それが誰の筆致であるか、分からぬものはいなかった。
 隠したのか。
 驚きながらも、誰もがどこかで納得していた。へし切長谷部が彼女に対して並々ならぬ感情を抱いていたのは明らかだった。ただひとり主ばかりが、信じられないといった様子で誰もいない部屋を眺めていた。たまたま主の傍にいた彼と、加州清光、それから今剣の三人のみが、一切の表情を削ぎ落とした主がぞっとするような顔で、まさか、と呟いたのを聞いていた。
 
 
 
「隠されたのなら、歴史が変わるはずだ。あそこにいたのは一九〇年前、病で死ぬ前のあいつなのだから。生まれ変わって、俺と出会うはずがない。――だけど、俺の愛弟子はその頃にはもう、審神者の素養有りと政府にバレて召集されて、自分の本丸を持つための研修に入っていた。すぐ担当に頼んで、連絡を取ったよ。……何も、変わっていなかった。俺の記憶も、あいつの記憶もだ。……審神者になってすぐのあいつが、演練場に長谷部を連れてきた時には、頭を抱えそうになったけどな」
 朱金の瞳が、どこか遠くを眺めている。主がいま誰を思い浮かべているのか、彼には容易く想像がついた。ぴんと背筋を伸ばした、切れ味の良い打刀。軍場を駆け、長い紫の裾と武具の帯をはためかせながら、敵を斬り伏せ躍る、国の宝の、物語。誰よりもあの娘の傍にいる付喪神だ。
 
 娘はまだ、隠されていない。
 
 
 
「ごめんねえ、長谷部」
 庭に立ち桜を眺めていた主が、急に男の名前を呼んだ。
「……何を突然。どうしたんです? 主」
「私はきっと、なにかを忘れているんだろうなあ、と思って」
 ひらひらと舞う花弁がまるで雪のようだった。主の顔は見えない。
 彼はそっと、まぶたを伏せる。
 生まれる前から頭の良すぎる娘だ。己の記憶の欠落など、とっくの昔に気づいてしまっているだろう。まだ、思い出してはいないようだけれども。
「長谷部には、苦労をかけてばかりだねえ」
「いいえ……いいえ。そのようなことは、けして」
 その言葉だけで十分だった。何かを隠されていると知りながら、彼女は彼を、疑うことなく傍に置く。それがどれほどの幸いか、彼はよく知っていた。

 だからどうか、思い出さずにいてほしい。
 彼はずっと祈っている。
 呪いをかけている。

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