• はこにわのつくもがみ

フォークロアは夜に閃く

  • へしさに
  • 捏造

 今日は珍しい面子だよな、と誰かが呟いた。
 慌ただしい足音、叫び声。争いの気配が砂煙のように立ち込める、池田屋前。夜の闇のなか、人からは見えぬ化生の魂が、六つ。否、六振りと言うのが正しいだろうか。
 先頭に立つのは和泉守兼定――かつて、新選組鬼の副長土方歳三が腰に帯びたという打刀である。そのすぐ後ろに相棒の堀川国広が並び、さらにその後ろにはへし切長谷部、同田貫正国、今剣が続き、最後尾には大倶利伽羅が立っていた。
 この中で常日頃から一番隊として前線に出ているのは、長谷部と今剣のふたりだけである。最近は太刀や大太刀が夜闇に鈍るからと、二番隊の堀川と、普段は審神者の身の回りの世話をしている前田藤四郎が京都出陣の折には駆りだされていたが、歌仙兼定と薬研藤四郎はそのまま一番隊に残っているのが常だった。疲労の色が濃くなった者は、練度の高い山姥切国広と加州清光のどちらかに入れ替わる。さあ、いよいよ池田屋かという時になって、審神者がごろりと編成を変えるよう言ってきた。戦いのことには滅多に口出ししない娘だったが、何も考えていない訳ではないと、彼等はみな知っている。異を唱える者はいなかった。
「気を使われちまったかねえ?」
「ううん、どうだろう?」
 二番隊を率いている大倶利伽羅はともかく、和泉守と同田貫はまだ、からだの使い方に不安が残る。ゆえに夜の出陣は見送られていたはずなのだが、今日、一番前に立っているのは和泉守だった。かつての主が籍を置いていた、後世ではあまりに名の知れ渡った集団が、戦った場所。あの時はまだ、和泉守は男のそばにいなかった。
「『隊長』サンたちよ。そろそろ行こうぜ」
「ああ。やつらに先を越されては意味がない」
「わぁってるさ」
「あそこからはいれそうですね。みな、あそこまでとべますか?」
「おめえにゃあ負けるが、このくらいなら皆いけるだろうよ」
 なにせ人に似た姿なれど、人ならざる身だ。地を蹴れば難なく屋根の上に飛び乗れる。全員屋根の上に登ったのを確かめて、堀川が窓から中を覗きこむ。
 後ろ手に指を立てて、堀川が中の様子を伝える。大太刀、打刀、脇差、薙刀。主戦力ではないのだろう。見張りといったところだろうか。
「俺たち全員一気に入って、動けそうか?」
 今度は指が四本立てられる。
「なら俺と国広、それから今剣とたぬきでまず行くぞ。部屋の連中を片付けたら合図するから、それまで長谷部と大倶利伽羅は待機しておいてくれ」
 全員頷いたのを確かめて、和泉守は堀川とふたり、身を滑らせるように池田屋の二階へ飛び込んだ。人と人の剣戟の合間に、蠢く異形の影がある。
「――御用改である!!」
 大きな、しかしただびとには聞こえぬ声が場を裂いたと同時に、異形たちの視線がぐるりと彼等の方へと向いた。
「てめえらの相手はそっちじゃねえだろ?」
「ぼくらがあそびあいてですよ!
  にやりと笑う男の横から、天狗姿の影が躍り出る。くるりと跳ねて、落ちるに任せて敵の喉元に切っ先を滑らせる。今剣に刎ねられた首がごとりと転がったのを皮切りに、化生たちの刃が躍った。
 明治元年六月五日。月はとうに沈み、空には星ばかりが輝いていた。
 
 
 
 気配がふえた、と男は思った。
 そして気のせいだとすぐに思い直す。斬り合いによってざわついた肌が、何か錯覚を起こしたのだろう。むうっと蒸し暑いのもよろしくない。もとより広くない部屋のなかが、いっそう狭苦しく感じてしまう。
 池田屋の戦闘は熾烈を極めた。
 周りを隊士で固めたのち、局長と魁先生らの四人が店に踏み込み、二十余名にのぼる尊王攘夷派の男たちを相手に戦った。激戦の末、浪士らは裏口を守っていた隊士を斬りつけ逃亡。局長と永倉先生の二人は彼等を追った。いまこの場にいるのは途中で戦線を離脱した沖田先生と魁先生、浪士に斬りつけられ怪我を負った者達、彼等の介抱のために残った数名の隊士のみである。男は水を含ませた手ぬぐいを魁先生に渡し、そのまま怪我人たちの手当にあたった。安藤と新田は重傷で、はやく連れ帰ってきちんとした治療を受けさせてやりたいのだが、屯所に戻るのは明日の正午と決まっている。負傷者が戻ったところで闇討ちされては、なす術がない。それに態勢をもう一度整え、逃げた男たちを追わねばならなかった。裏口には斬り捨てられた仲間と、斬り捨てた敵の骸が横たえられている。
「おい、誰か先生に水を持ってきてやってくれ」
 その声にかぶせるように、沖田先生がけほけほと咳込んだ。慌てて近くの隊士が立ち上がり、井戸の方へと駆け出そうとする。――その瞬間、ゆらりと何かが揺れる、気配がした。
 気のせいであるはずだ。しかし男はわけもなく背筋を走った何かに突き動かされるまま、先生と声を上げた。続いて危ない、とも口走りそうになったのが、すんでのところでまた、気配が動く。
 ほんの一瞬の、違和感だ。なんと言い表わせばいいのか、からだが捉えた感覚に思考が追いつかず、男は二の句を告げられぬまま固まった。見えない何かがひゅんと音もなく過ぎ去っていったような――ふっと、かまいたちということばが頭に浮かんだ。嗚呼、そのような妖に出会ったことなどないが、かまいたちが現れればこういう手触りになるのかもしれない……。
 またたく間にその気配は消え失せて、そこで男は己に集まった胡乱げな視線に気がついた。そうだ、「先生」と叫んだばかりであると男は思い出したが、その理由はなにも理解しないうちに消えてしまった。
「なんでもありません、気のせいでした」
 そう己に言い聞かせながら、男は頭を振って、ごまかした。
 
 
 
 ひしめく異形を斬り倒し、奥へ奥へと追いやるうちに、人の側は戦いの場を市中へ移したようだった。怪我を負い座り込む者、怯える者、騒ぐ者、今なお騒がしい人々の横をくぐりぬけながら、六振りの付喪神たちは狭い店のなかを駆けていく。形勢は明らかにこちらが上だった。
 仲間を逃がすためであろうか、逃げるのをやめ立ち塞がった大太刀の元に、同田貫正国が猛虎のごとく飛び込んだ。間合いの内側に入り込み、低い位置からその腹めがけて横に斬り上げ、相手が動きを止めたところで容赦なく蹴りを食らわせる。どさりと巨体が崩れ落ちたと同時に、あっ、と今剣が声を上げた。
「あいつら、ふたてにわかれました!」
「兼さん、あっちには確か沖田さんたちがいるはずだ!」
「ああ? まだ諦めてねえのかよ。俺らに負けず劣らずの往生際の悪さだなァ! 長谷部、国広と大倶利伽羅つれていけ!」
「ああ、そちらは任せた」
「応!」
 和泉守兼定たちが敵を引き受けている間に三人はその横をかいくぐり、廊下を曲がって人間たちの集う部屋に駆けつけた。目の前で手負いの打刀が、座り込むひとりの人間のそばに立ち、得物を握りしめている。
「沖田さん!」
 堀川国広が叫ぶより先に、飛び出したのはへし切長谷部だ。
 武具をばたばたとはためかせながら、短刀にも負けぬ速さを誇る彼は一気に距離をつめ、敵の腕に己の刃を滑らせる。すん、と摩擦する音ひとつたてぬまま、敵の腕は握りこんだ刀ごと体から切り離された。ごと、と一拍遅れて床に転がり落ちるのには目もくれず、へし切長谷部は後ろを振り向く。
 こちらへと向かった敵は一人ではなかった。手負いの打刀は恐らく囮も兼ねていて、他の仲間がどこかに控えている。故にへし切長谷部は堀川より先に沖田の元へ走った。
 物陰から槍の穂先が、大倶利伽羅めがけて風を切るように突き出される。
 大倶利伽羅はすんでのところで後ろに引いたが、切先が顔を掠めたらしい。左の顎に一筋赤く線が引かれ、そこから派手に血が流れている。首を狙ったのは明白だった。
「大倶利伽羅さん」
 それだけ言って、傍にいた堀川国広が深く槍の懐に入り込む。狙うはその堅い装甲のみ。組紐と幾重にも重なる板の隙間に刀身を差し入れ、刀装と呼ばれる玉ぎょくを鎧と紐ごと引き裂くように剥ぎ取った。――間を置かず、間合いを詰めた大倶利伽羅が一閃。さらけ出された敵の身体に竜の躍る己の刃を走らせる。
 どさり、と巨体がその場に伏し、そのまま砂のようにさらさらと崩れ落ちた。そこでようやく殺気が途切れる。
「和泉守と合流しよう」
「……ええ」
 ちらりと堀川国広は部屋に残る人間たちを見やったが、すぐに二人と共に来た廊下を引き返す。ちょうど二手に分かれた場所で、各々の刀を鞘に収めた和泉守兼定たちが待っていた。
「逃げられたか」
「ああ。そっちは?」
「ひとまず始末はした。大倶利伽羅が顎のあたりを切られたが、大事はない」
「同田貫もふとももをきられていましたが、あるけぬほどではなさそうですね」
「こんなの掠り傷だって」
「へいへい。大倶利伽羅と同田貫正国、軽傷二名、敵は逃亡。……今日は多分これで終いだな。本丸に戻ろうぜ」
 鯉口に手を添えたまま、本丸へのゲートへ向かう。最後尾のへし切長谷部はひとり思案顔をしていたが、他の者達が気づくより前に小さく息をついて、それきりだった。
 
 
 
 夜、審神者はひとり自室で本を読みながら、ある付喪神を待っていた。
 この本丸には、非番を言い渡されると必ず前の日の晩に、審神者の部屋を訪れる付喪神がいる。それは彼が顕現してから欠かさず続いている習慣で、その夜だけは短刀たちも彼女を酒宴に誘わない。恐らく薬研あたりがうまく調整してくれているのだろう。もしくはそろそろ短刀達には知れ渡っているのかもしれない。――今日は長谷部がやってくる日だ。
 夜の戦場へ赴いた付喪神は、翌日必ず非番に回される。
 池田屋周辺への出陣が始まったばかりの頃、朝から夜戦へ出陣し、戻ってはまた出陣しを繰り返した付喪神の中に、いわゆる時差ぼけを起こす者が現れたのだ。ならば次の日を丸一日休みに充てて、体内時計を元に戻せるようにと彼女が決めたルールがそれだった。
 京都に彼等を送り込んだ次の日は、一気に六人以上の付喪神が非番になるが、彼女は特に気にしなかった。戦績は一定のラインを超えていれば何も言われないし、成果を上げすぎれば変に目をつけられる。この決まりは、進軍のペースを抑えるという目的も兼ねている。どのくらいの刀剣がその意図に気づいているのかは分からない。が、特にこれといった反対意見は短刀達の世間話づてにも聞こえて来ないから、素直に受け取ってもらえたか、こちらの思惑に気がついた上で、従ってくれているかのどちらかなのだろう。
「失礼いたします、主」
 流れる水のような声が彼女を呼んだ。
 へし切長谷部が部屋の前に座っている。声をかけられる前からその気配を拾いあげていた審神者は、頁をめくる手を止めてゆっくりと顔を上げた。
「おつかれさま、長谷部。諸々の用事は終わらせてきた?」
「恙無く。いまお時間はよろしいですか」
「うん、大丈夫。入ってどーぞ」
「有難うございます」
 それと、できれば人払いを。
 そう付け足してから、静かに障子戸を十センチほど開けた彼は、武具こそ解いてはいたものの、紫色のカソックをきっちり着込んだままだった。普段は着流し姿か、上着を脱いで襟元を緩めて部屋を訪れるのだが、どうやら今日は特別な話があるらしい。髪が乾ききっていないということは風呂も済ませているだろうに、わざわざまた堅苦しい服に着替えてきた彼を見て、相変わらずの生真面目さに彼女は笑う。本を卓の上に置いてから、審神者は改めて長谷部に向き直った。
「そういうことなら。こっちにおいで、長谷部。戸は開けたままでね」
「はい」
 自然な動作で左手、右手でと戸を開けて、もう一度「失礼いたします」と一礼をして入るその所作は、武士の振る舞いそのものだ。さすがだよねえ、とのんびり考える審神者をよそに、長谷部は言われた通り戸を開けたまま、そのやや横に正座した。
 その様子を眺め終えてから審神者は立ち上がり、燐寸と香立て、香を収めた箱を押し入れから取り出して、床の間の前にそれを並べた。香の準備を整え火をつければ、清涼感のある、しかしかすかに甘さと青さを含む香りが部屋のなかに広がりはじめる。そのまま無言で彼女は障子戸の方へ、手順どおりの歩法で進み、立ち止まり――たん、とわざと音をたてるようにして戸を閉めた。これでこの部屋はひとときの間、そとから隔絶された空間となる。
「よく考えたら、こんなふうに話すのは久しぶりだねえ」
「……確かにしばらくぶりですね」
 師より習った術で場を閉じることは、これが初めてではない。たとえば新しい刀を一度に大勢迎えた夜などは、松之守――いわゆる初期刀と呼ばれる歌仙兼定を交えての三人で、新入りの人となりならぬ刀となりについての話やスケジュールの練り直しを都度都度繰り返していた。その頃は政府から派遣されたクダキツネを警戒して、あらゆる話題が外に漏れぬようにと腐心していたのだ。
 こんのすけとの和睦を果たし、本丸の運営も軌道に乗り始め、場を閉じての密談は少なくなった。それに今は長谷部に代わって、大倶利伽羅が一時的に近侍の役目を帯びている。この術のことを教えているのは長谷部と歌仙、それから身の回りの手伝いを頼んでいる前田藤四郎の三人だけで、他の者達には知られることのないように気をつけている。だから自然と、機会を設けること自体が難しくなっていた。
「さて、今日はどんな用向きなのかな」
 卓の上を片付け、持ち込んでいた保温ポットのお茶を湯呑みに注ぎながら、そうのんびりと審神者が問うと、長谷部は眉間を寄せたまま、じっと先に渡した湯呑みを見つめてなにかを考えていた。やがて思考がまとまったのか、ひとつ小さく息をつき、彼はゆっくりと口を開いた。
「今日の池田屋出陣について、和泉守からの報告は受けていますか」
「うん。一階に追い詰めたところで敵が二手に分かれ、その片方が戦線離脱した沖田総司のもとへ。槍一、打刀一。長谷部たちが駆けつけて被害は出さずに済んだけど、残りの連中は退却して仕留められず。軽傷二人。兼ちーの判断で帰還。大まかにはこんな感じだよね。細かいデータは明日ログを確かめるつもりだけど、なにか漏れがある?」
「いえ。報告自体に漏れはないと思います。ただ……これは俺の気のせいかもしれないのですが」
「うん?」
「……敵は沖田総司ではなく、彼の『加州清光』を狙っていたように見えました」
 花の香りが満ちるなか、互いに沈黙し、見つめ合う。
 厄介だなあ、と審神者は思った。
 長谷部の話を気のせいだろうと笑うには、心当たりがありすぎたのだ。もしも己が歴史修正主義者なら、十中八九考える。彼女がそう思っている手段のひとつに、敵がまさしく乗り出した可能性をその話は示していた。
 しかし、さて、どう話したらよいものか。じっと長谷部に向かったまま、審神者はちらりと思案する。話しておきたい気持ちはあるが、彼に聞かせていいのかどうか。……大丈夫だとは、思うのだけれど。
 刀剣男士は刀にあらず。
 正確にいえば刀であって、刀ではない。見立てのいのちはまことと思えば思うほど、真に近づく存在だ。敷き詰められた仕組みによって、寄せ集めのたましいが、名だたる刀の神に成る。
 この本丸には己の素性を知る者もたしかに多いのだが、全員がそうというわけでもない。長谷部は色々と特別な刀だから、きっと知ってるはずなのだけれど。今まで審神者は確かめようとしてこなかった。なにせ彼はあまりにも、付喪神らしい男だったので。
 審神者はやんわりと目を眇め、やがてわざとらしい溜息をつく。
「……長谷部」
「はい」
「長谷部はどこまで気づいているの」
 曖昧に、曖昧に含ませて問うた言葉にも、長谷部は戸惑うでもなく静かに答える。
「……恐らく、三条の者達と同程度には」
 正しく質問の意図を理解した彼の答えに、審神者はもうひとつ、さらにわざとらしい溜息をついてみせてから、緩慢な動作で湯呑みを取った。気づいているなら、予想もついているのかな。そんな前置きして、話を始めた。
「長谷部がそう感じたんなら、敵はたしかに『加州清光』を折ろうとしたんだろうね」
「『刀剣男士』の加州清光を消すため、ですか」
「おそらくは。少なくとも、あそこで修復困難と分かる形になれば、『加州清光、刃こぼれ多数』の記録は失われ、池田屋を駆けた沖田の刀という物語は失われる」
 見立てのいのちの本質は、物語である。
 即ち、人格形成に足る物語さえあれば、実在の事実がなくとも刀剣男士は顕現できる。今剣や岩融が良い例だ。そしてまた、逆も然り。
 物語がなくなれば、彼らは存在することさえ叶わない。
「しかし、まあ……いよいよ面倒になってきた。やっぱりって感じではあるけれど」
「過去そのものを変えるより、記録を改竄するほうがよほどやりやすい。文ひとつで変わる道筋もあるでしょうね」
「……本当この戦争、戦う意義があるのかすっごく疑問なんだけど。明らかに手数が足りない。絶対足りない」
 八億四千万。
 ただでさえ過去に類を見ない、おぞましい数の軍勢だ。それらがひっきりなしに時間を遡行し、未来を変えようと目論んでいる。それだけでもげんなりするというのに、観測さえ難しい手段に数を充てられたらと思うと、流石に色々投げ出したくなる。
 たかが記録を変えたところで、大したことはない。そう思う者もいるかもしれないが――物語を殺すには十分だ。
「……まあ。私が考えてもどうにもならないか。しばらく気にしないどこ。三条派や気づいてる子達には、私の方から話をしとくよ。教えてくれてありがとね、長谷部」
「いえ」
「他にはなにもなかった?」
「はい。……大倶利伽羅、和泉守兼定、同田貫正国。三名とも問題なく夜戦に対応しています」
「……そう」
「元太刀というだけあって、頼もしい限りですよ」
「それならよかった」
 
 藪蛇をつついたかもしれない。
 
 予想外の事態に、それでも審神者は表情ひとつ変えぬまま。少しばかりぬるくなった茶をひとくちすすった。
 
 
 
「さっちゃんや。師匠のところは大丈夫そう?」
 そう、咲楽守に尋ねたのは数日前のことだった。
「……なんの話だ」
「なにって、そりゃあ師匠の所の大倶利伽羅と、和泉守兼定と、同田貫正国のことですヨ。確か師匠のとこってだいたいの刀揃ってるよね」
「……? たしかにあいつの所にもその三人は顕現しているが。その三人がどうしたというんだ」
 ここまで話を聞いて、彼女はようやく。己の勘違いに気がついた。
 大倶利伽羅、和泉守兼定、同田貫正国。この三振の付喪神について政府がまとめているデータベース上の情報が、太刀から打刀と変化している。それは彼女が初めて認識した、この戦争の余波だった。改変によるものなのか、それとも阻止の結果もとに戻ったのか。些細な変化ではあるが、彼等の変化はこの戦いが未来の道筋に影響を与えているという証左であった。……そして当の三人は、自身の変化に気づいていない。まるで太刀であったことをきれいに忘れてしまったかのような顔で日々を過ごしている。
 三人がかつて太刀であったことを覚えているのは、己が審神者であるからだと。彼女はそう思っていたのだ。
「……さっちゃん。ちょっと頼まれておくれ」
「なんだ?」
「師匠にそれとなく聞いてほしいんだ。その三人に、なには変わったことはなかったかって」
 咲楽守はもはや刀剣男士ですらない、彼女の師匠である異形の男の眷属だ。あまりに強く、あまりに永きを生きる異端が、名前を与えて縛ったいのち。咲楽守のたましいは、どこかであの男と固く結ばれ、同化しているはずなのに。その彼が気づいていないということは即ち。あの師匠ですら、この変化に気がついていない。……あの男でさえ捉えられない事象を、自分ははっきりと覚えたままでいる。
 翌日、咲楽守から改めて話を聞いた彼女はそれを確信し、ひとり頭を抱えていたのだが。
 
(なんで、君は覚えているんだろう。ねえ、長谷部)
 
 誰にも話したことのない歴史の分流を、彼は間違いなく認識している。
 見ないふりはできないのだろう。そう、彼女はぼんやり、考えた。


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