• はこにわのつくもがみ

別れは君が教えてくれた

  • くりつる
  • 捏造
  • BL表現有
  • 性表現有

 江戸のまち。いまは東京というのであったか。そちらへ移され保管されることになったと大倶利伽羅は言い、鶴丸国永は一言、そうかと返した。
 明治十七年、夏の日のことである。夏とは言っても、仙台の夏は比較的涼しいものらしく、むかし眺めたことのある京都の夏よりも幾分か過ごしやすそうだ、と鶴丸は考えている。とは言っても、あまりに涼しすぎると作物が育たず、人々は度々不作を嘆く。そんな有り様だったので、過ごしやすいからといって手放しに喜べるものでもない、ということも鶴丸は理解していた。
 暑い、寒い、というものの感じ方は、実のところよくは分からない。
 平時に刀身を収める白鞘は、外気の温度を中に伝えないようにできている。完全に遮蔽できるわけではないが、ある程度はそうやって刀身が熱で膨張し歪むのを防いであるのだ。丁子油をまとい、白鞘に収められ、蔵の中にしまわれている彼らは、季節による外気の変化を実感することなく過ごしている。
 化生としての命を得て、体を離れてたましいが動き回るようになってもなお、せいぜい「少しあついかもな」と思うくらいで、人の子のように暑さにため息をついたり、寒さに仮初の身を震わせた経験はない。そう考えると、この人真似の姿で外を見て、音を聞き、ものに触れていると認識しているこの事象さえ、人とはなにかが違うのかもしれなかった。
「ああ、しかし。君はまったく、あついなあ、……」
 ゆるやかな交わりだった。
 追い立てるような性急さはない。菊門を開き、ゆるく蠕動する管に自身の陽物を収めたまま、大倶利伽羅はただじっと鶴丸を抱きよせている。互いに呼吸は浅いが、我を失うような激しさはなく、それでも受け入れることに慣れた内側は、快感を確かに拾う。時折思い出したようにゆっくりと中を揺らしてくるのが、きもちがよくてたまらなかった。
「つるまる、」
 名を呼んで、金色の目をとろりと溶かして。そうやって口吸いをねだる大倶利伽羅に誘われるまま、鶴丸は白い指を項に張り付いた黒い襟足に差し入れる。かかる吐息に目眩がしそうだ。何度かやわく触れた後、唇を食まれ、ねぶられ、十二分に濡らされてから舌先で割り開かれる。咥内に迎え入れた舌に己のそれを絡め、角度を変えながら深く犯し合う。行為の穏やかさに似ているようで、ねとりとなぶり、貪るような口吸いだった。思わず腰が揺れて、腹に収めた熱に喉がわななく。ん、とも、あ、ともつかないくぐもった声が、互いの鼻から抜けるように響いていた。あまりに色の違う、触れ合った肌が汗で滑る。それがなんだかおかしくて、鶴丸はまなこだけで小さく笑った。
 夏の暑さも分からぬくせに、こんな人の真似事で汗をかくなんて。
 きみはあついな、おおくりから。熱に溺れながら、鶴丸は目を閉じた。
 
 
 
 彼らは器物だ。
 命を得て、たましいに手足を生やしてそこらを歩き回っていたとしても。彼らの生は人の手に委ねられている。蔵に仕舞われるのも、使われるのも、打ち捨てられるのも、壊されるのも。全ては人の心ひとつだ。そういうものであると、彼らは重々承知していた。むしろおよそ二百年、これだけ長い間互いに移されず、失われず、ひとところに在れるのは珍しいことに違いなかった。刀であるゆえに得た長い時間である。権力者たちによって斬る以外の価値を与えられたのちに、幕府による泰平の世が築かれた。時代の流れによってもたらされた偶然ともいえるだろう。
 大倶利伽羅がよそへ移されると聞いて、一番悲しんで見せたのはお針箱の道具たちだった。
 男の付喪神たちからは距離を置かれている大倶利伽羅だが、どうも彼は女から可愛がられるたちであるらしい。ほかにも手鏡や櫛、そういった女の似姿を得た付喪神達に囲まれた大倶利伽羅は、どうしていいか分からずに困り顔のまま、彼女たちからもみくちゃにされていた。
「あんたは寂しくないのかい」
 少し離れた場所からその様子を眺めていた鶴丸にそう訊ねたのは、古株にあたる鏡台の付喪神だった。他のものたちからおみえさんと呼ばれている彼女は、何代か前の当主の嫁御が輿入れの際に持ち込んだ嫁入り道具のひとつである。女の身の回りの品は入れ替わりが早いものだが、この鏡台は今も伊達家の隅で大切に保管されていた。
 彼女の問いに、国永の太刀は軽く笑った。
「俺は、と言うがなあ、おみえ。まさかあいつらと比べて言ってる訳じゃあないだろうな?」
 彼らなどより余程、使い潰されることを当然のものとしている彼女らが、人と同じような哀別の情を持ち合わせている訳がない。何もないとは言わないが、人の姿を持つゆえの、人の真似事だろう。実際に去ってしまえば、噂話よりも早く、大倶利伽羅の名前は彼女たちの話題にのぼらなくなる。口には出さないが知っているぞと、そう笑い声に含ませる男の様子に、鏡台の女は呆れるほかがない。――その人真似を、この家に広めたのはあんただろうに。
 そもそも、人の姿を持つ付喪神の方が本来ならば稀なのである。伊達の家がこんな妖怪屋敷のような様相を呈しているのは、ひとえにこの白い付喪神のせいなのだと、おみえに教えたのは太鼓鐘という名前の短刀だった。霞のような生き物でしかなかった彼らは、ある日現れた神々しいまでに白い男に引きずられるまま、人の形を覚えてしまったのだと。以来、伊達の家でものにいのちが宿ると、軒並み周りに流されて人の形になってしまう。まるですべて鶴丸のせいのように言っているが、彼らがみな望んでそうなったことは、おみえ自身、身に覚えがあったのですぐに分かった。ただ、すべてのきっかけはやはりこの男であったのだろう。その彼が、人の真似事を所詮は真似事であるとつまびらかにしてしまうのは如何なものなのか。
 けしてそれを馬鹿にしているわけでも、咎めているわけでもない辺りが、この男のよく分からぬところだと彼女は思う。
 諦めた鏡台の女は、深々とため息をつく。
「あんたは、なんでそうも笑ってるんだか」
 鶴丸はやはり、こたえなかった。
 
 
 
 今日は随分と星が見える。己とまるで違う浅黒い腕に抱き込まれたまま、鶴丸はぼんやりと夏の夜空を眺めていた。
 大倶利伽羅に人の似姿を与え、そのまやかしのからだで情を交わすようになってから、だいぶ久しい。付喪神である彼らに床が用意されるわけもないので、人目のつかない場所を選び、互いの衣やからだを褥の代わりにして朝まで共寝する。
 今宵は月が見当たらない。こういう日はいっとう星が見えるのだ。
「二十七夜だからな」
 鶴丸の髪を指で梳きながら、大倶利伽羅がそうぽつりと返した。よく見える、とつい声に出してしまっていたらしい。ああ、道理で。答えながら鶴丸は甘える猫のように、額を大倶利伽羅の胸元に擦り付ける。とりとめのない会話だ。媾合の後のけだるさに任せて、さして考えもせずにぽつぽつと言葉を交わすことを、思いのほか鶴丸は好んでいた。
「君が移されるのはいつだったか」
「……八月になってから、という話はしていた」
「それなら……ああ、まだ少なくとも、十日は日があるのか」
「ああ」
「しかし、何度も暦は変わったものだが、太陽暦はどうにも慣れないな……」
 二十七夜と聞けばどうしても、もう月の終わりだと思ってしまう。一瞬ひやりとした、己の胸の内に鶴丸は笑む。
「寂しいなあ、大倶利伽羅」
 ――そう思えることがうれしいのだと、だれかに話して、はたして通じるだろうか。
 己がけして気のいい部類の男ではないと、鶴丸国永は自認している。
 ついでにいうと、彼はずっと昔から人の姿を取った付喪神である。永きに渡り人の真似をし続けて、その間に人の手を転々とし続けて、随分と人に近づいてしまっていた。ゆえに彼は人によくにた情動を以て、周りのものたちを疎んでいた。
 特に伊達の家に来た頃の彼は、それはもうひどく荒んだ気持ちで世の中を眺めていて、同類たちから掛けられる声に笑みと軽快なことばを返しながら、内心はそれらがひどく億劫で、かなうことならば皆どこかよそへ行ってくれやしないものかと、そんなことを考えながら日々をすごしている付喪神であった。退屈はきらいだが、それ以上にほかのものたちから向けられる視線の、その隠れた稚拙で、しかしその分ごまかしようのない佞悪さが煩わしくて仕方がなかったのである。
 そんな中、だれかが彼に嫌われ者の付喪神の話をした。
 いのちが生じているのは確かなのだがひとことも話をしない、無愛想で礼を欠いた、孤立する刀の付喪神がいる。そういうことをつたない言葉で――その頃はまだ鶴丸ほどはっきりとものを話せる付喪神はいなかったので――彼に言って聞かせた付喪神は、おそらくそいつには近づくなという意味合いで話したに違いなかった。当時伊達の家には鶴丸のほかに人の姿を持つ付喪神はおらず、新参者でしかないはずの彼は、どこか特別な存在として扱われていた。
 気遣いと何かしらの思惑がまざる話だった。それを聞いた鶴丸はまず、都合が良さそうだ、と考えた。
 よほど寡黙か、未だにことばを知らぬのか。ともかくそういう嫌われ者の傍に転がり込めば、いくらか静かに過ごせるのではあるまいか。周りのものたちの相手が面倒になった際に、気まぐれの一環として近づいてみせればそう角も立つまい。なに、まだ幼子のようなこころしか持たぬ彼らが、愛想がないと言うほどの相手だ。変に懐かれさえしなければ、向こうから話しかけてくることもないだろう。そんな心づもりで近づいた、その相手が大倶利伽羅だった。とんだ誤算だ、と昔の己に彼は笑う。
 
 
 
「やあ、驚いた。貞宗の他にもいるじゃないか」
 ひとの形を持たぬ若い付喪神に白々しくそう声をかけたところで、鶴丸は思わず、胸の内で嘆賞していた。
 これはこれは、随分とまあ、おきれいな奴がいたものだ。
 今までその存在に気付かなかったのが不思議なほどに、うすもやのようなそのたましいは美しかった。鶴丸が気が付かなかったのはおそらく、それがずっと微睡むように過ごしていたからだろう。ほかの付喪神たちからああ言われているくらいだ、さぞかし捻くれていることだろうと思っていたが――鶴丸の様子を窺うその命は、素直に戸惑いを彼に伝えた。
「貞宗よりもいくらか若いようだが、名はあるか?」
 訊ねれば、声なきことばがたどたどしく彼に答える。ごうは、おおくりから。めいは、ない。慈悲と智慧を司る、不動明王を表す龍の名前だ。なるほど、名に守られたかと鶴丸は思った。
「そうか、そうか。大倶利伽羅か。俺は鶴丸国永だ。鶴丸と呼んでくれ、大倶利伽羅」
 鶴丸が大倶利伽羅のいのちを指でかきまぜると、その若い龍はゆらりと揺れながら、どうして、と小さくつぶやいた。己が外にことばを漏らしていると、気がついていなかっただろう。きれいな。しろ。はなしかけてきた。ふしぎだ。きづかれてないと。おもっていた。相手が己を知っていたことに、鶴丸は驚いた。その事実に、わけもなく笑ってしまった。
 その時に気がつくべきだったのだろう。とんだ誤算をしていたのだと。
 愚かなことだと彼は笑う。本当に良かったとも彼は思う。
 こんな綺麗な生き物を、彼はほかに知らない。
 退屈しのぎの気まぐれだと己に言い聞かせて構ううちに、冗談ではすまなくなった。美しい刀であるのに、周りから劣等感を植え付けられていた幼い龍は、それでいて誰も恨むことなく、ただひとりでじっと他のものたちを眺めていた。無遠慮に話しかける鶴丸に対しても、どこか困ったようにするばかりで、けして悪意は向けてこない。ただ、時折背中から、きれいだ、とことばが聞こえてくると、どうにも気恥ずかしくてしかたがなかった。
 つまるところ、鶴丸は負けてしまったのだ。
 人真似をする気配もないような幼い子どもに入れあげて、耐え切れずに人の真似事を教えこんだのは彼だった。今でも当時を知る付喪神たちからは白い目で見られる。外の話を、刀の握り方を、閨のことを、大倶利伽羅に教えたのは彼だったが、与えられたのはむしろ彼の方だ。
「いい男に育ちやがって」
 ふふ、と笑って鶴丸は大倶利伽羅に擦り寄った。
「なあ。君は江戸には行ったことがあるのかい」
「……あんたが来る前に一度、研ぎに出されたことはある気がする」
「そうか。そうか……ああ。寂しいなあ、大倶利伽羅……」
 ――昔のままの彼であったなら、だれかと過ごす時間に喜びを、だれかとの離別に悲しみを見出すことなどなかっただろう。いのちに触れればあついということも、この龍に出会うまで彼は知らなかった。大倶利伽羅に出会わなければ、ずっとひとりきりだった。彼はそう信じて疑わなかったし、恐らくそれは真実だ。
 
 
 
 彼らは器物だ。共にあることも、傍を離れることも、彼らの意思の外にある。
「なあ。大倶利伽羅」
 男の胸元になつきながら、彼は囁く。どうか君のままでいておくれ。変わっても、変わらなくてもいい。君が君でいてくれるなら、それでいい。
「あんたも、どうか」
 穏やかな声を注いでくるこの男が、いとおしくてしょうがなかった。龍を刻んだたくましい腕が、そっと躊躇いがちに、強く彼を抱き寄せるのもたまらない。かわいい、かわいい俺のつがい。
 鶴丸が、鶴丸のままであるなら、それでいいと。そう返した龍の子は、どれほど己がこの鶴に色を教えたのか自覚していない。それでいいと彼は思う。
 
 別れの悲しみも寂しさも、君に与えられたのだと、そう思えば愛おしい。
 君はどうだろうな、大倶利伽羅。
 
 人であれば心の臓がある場所に、鶴丸は頬を寄せる。男の熱が、たまらなく惜しかった。
 
 
 
 八月の朝、鶴丸は大倶利伽羅にさよならを告げた。
 またな、とは言わなかった。


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