• 単発もの小説

猿投山渦は悔いている

  • キルラキル
  • 猿流
読了目安時間:24分

キルラキルの猿流。キルラキルの推し猿投山渦に対する解釈開示小説ともいう……。猿投山はかっこいいと信じて疑っていない人間が書いています。

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(1)紅にまつわる話

 大学構内の桜が葉桜に変わっていた。
 ついぞこの間まで、見事な薄紅を纏わせていた気がするのに。時間はあっという間に過ぎていく、そんなありふれた気づきを得るたびに、皐月は白昼夢からぽっと目が覚めるような、不思議な気分を味わうようになった。
 おそらく長年抱いていた悲願、それが叶えられた後の穏やかな毎日を、未だに日常とすることができずにいるためであろう。彼女は自身でそう見当をつけていたし、鬼龍院皐月をよく知るひとに訊ねてみれば、みな断定するような言い方は避けながらも、その通りだと答えるに違いなかった。
 母を討つと決めたのは五つの頃だった。
 生命戦維という名前の、人ならざる生き物のために生きた母。生まれたばかりの我が子すら、星ごとすべて生命戦維へ捧げるための道具のように扱った。存在したことすら知らなかった妹が、母にどんな仕打ちを受けたのか。名もなき妹のこと、母の為そうとしていることを父に聞かされた、五歳のあの日。
 あの日から皐月はほとんどの時間を、目的を果たすためだけに費やしたのだ。急ぐべきことは迅速に、必要なことには時間をかけて、好機は逃さずに……時間を惜しんだことこそあれど、それが知らない内に過ぎ去っていて、後になってからそのことに気がつくだなんて。そんな腑抜けた話、彼女にはあってならないことだった。少しでも気を抜けば、世界を救うなどという大きすぎる望みは叶わないと思っていた。
 実際に世界をまるごと救いあげたのは、かつて死んだと思われていた、哀れな妹の方であったけれども。
 次の授業に向かうべく構内を移動していた皐月の視界に、掲示板横に植えられた霧島躑躅の赤が飛び込んできた。赤は妹を――纏流子を想像させる色だった。鮮やかな色彩はまるで妹の気性さえも表しているように思えて、皐月はわずかに頬をゆるませた。赤は流子によく似合う。とくに霧島躑躅などは、彼女に似合いの花ではないか。黒地に真っ赤な躑躅の柄をあしらった訪問着を誕生日に合わせてこっそり仕立てさせてもいいかもしれない。年齢から考えるといささか華やかさに欠けるだろうが、明るい華美な着物よりも抵抗なく袖を通すのではないかと思った。教室に入った後もそんな空想に耽るなどと、一年前の自分が見れば、愚かな豚と吐き捨てたかもしれない。皐月は誰にも気づかれることなく笑みを浮かべた。未だ常のことと認めるには至っていないが、彼女は今の生活を思いの外穏やかな気持ちで楽しんでいる。
 すべてを背負って母と対峙した流子は、その時のことについてあまり詳しく語らない。ただ、ひとりで帰ってきたその時にはもう、母のすべてを許していた。それどころか、あの学校に転校してくるまでは知りもしなかった母を指して、ごくごく自然に「母さん」と呼ぶ。何も知らされぬまま、生まれたときから生命戦維と両親の思惑に踊らされ続けていた彼女が、誰よりも先にそれを許してしまったのだ。ならば皐月にこれ以上、母を憎み重く引きずる道理はない。
 流子は美木杉愛九郎、黄長瀬紬という二人の男と共に暮らしながら、都内の公立高校に通っている。
 最初皐月は鬼龍院の家で共に暮らそうと誘ったのだが、高校を卒業するまでは慎んで遠慮する、と流子本人から断られていた。おそらくやたらと妹を構いたがる姉の気配に気がついて、逃げたい気持ちと照れがないまぜになっているのだろう、というようなことを言って笑ったのは幼馴染みの蛇崩乃音だ。そういうものか、と思って皐月は大人しく高校卒業までは待つことにした。実際流子を構いたくて仕方がないのはその通りだったので。
 しかし男二人と共に暮らすという話には暫く納得がいかず、一度流子に内緒で二人の元に直談判しに行ったことがある。美木杉は父の遺した財産や権利を相続する流子の代理人だ。だから身元の引き受けるのは自然の流れとはいえ、年頃の娘と共に、それも他の男も連れて三人暮らしとは如何なものか。資金的な援助をするだけでは駄目だったのか。そう皐月が問うとひとりは肩を竦めてみせ、もうひとりは眉間に皺を寄せてため息をついた。
「そうは言っても、流子くんは君の家だけじゃなく、満艦飾くんの家で暮らすのも嫌だと言うんだ。それこそ年頃の娘が一人暮らしというのも心配だろう?」
「俺は別に同居する予定はなかった。が、こいつの生活能力のなさと性癖を知ってて放っておけるか」
「その言い方は酷くないか紬? コーヒー淹れるくらいなら僕でもできるぞ」
「自慢にならねえよ、それ以外は壊滅的だろうがあんた。纏の方がよっぽど料理も他の家事もできるぞ。あんたとふたりで暮らしてみろ、纏がぎゃんぎゃん喚きながらも家政婦になるのが目に見えてる」
「紬は見た目に似合わず炊事掃除洗濯、家事全般得意だもんねえ。本当に助かるよ」
「そう思うなら家事のひとつやふたつ覚えて脱ぐのをやめろ。あんたが常識と生活能力持ってりゃ俺は平和に一人暮らししてるんだよ勘弁してくれ」
 なるほど、黄長瀬の方は不本意らしい。美木杉の方をぎろりと睨むと「そんな怖い顔しないでくれよ」と両手を上げた。かつて共に母と戦った相手だ、信用していない訳ではないが、それでも不安は残る。皐月も彼の露出癖を知らない訳ではなかった。
「まあ、心配かもしれないけど安心してよ。僕も紬も、彼女には手を出さない。というより、手を出せない、という方が正しいかな」
「……どういう意味ですか」
「彼女に手を出す資格なんて、僕らにはないからね。その気があるかないかは別として。僕らには資格がない」
 答えになっていないような返事であったが、隣で聞いている黄長瀬は美木杉の言いたいことが分かっているらしかった。眉間の皺は爪楊枝でも挟めそうなほどにますます深くなっていたが、彼のことばに疑問を抱いている様子ではなかった。
「それに流子くんが本気になったら、僕らは手も足も出ないよ。君だって分かるだろう?」
「……あんた、本当にデリカシーがないというか、変なところで鈍いというかな……」
「え、僕なんか変なこと言った?」
 男二人のやりとりに毒気を抜かれて、流子に何かあれば覚悟しておけと、釘を差して終わりになってしまった。モヒカンが意外にも常識人で苦労性なのが見てとれたので、まあいいかと思ってしまったというのもある。
 流子が黙って好きにされるような娘ではないことなど皐月とて分かっているが、それとこれとは別なのだ。いかに流子が強くとも、それは妹を心配する気持ちには関係のないことだった。黄長瀬にも姉か妹か、もしくは恋仲の女性か。どうしても心配してしまう相手というのがいたのかもしれない。
 そういうやりとりを経て、皐月は渋々彼らの同居生活を許すことに決めたのだった。流子に様子を聞けば「案外悪くねえよ。つーかあのモヒカンの主夫っぷりがすげえ」などと笑いながら返すので、いまはひとまず信じることにしている。
 流子と彼女の親友である満艦飾とは、比較的頻繁に連絡を取り合い、時間が合えば集まって共に時間を過ごすようになっていた。それは三人でだったり、そこに乃音を加えて四人になったり、それぞれとふたりきりであったりと様々だが、乃音以外に同じ年頃の少女と付き合うことのなかった皐月にとっては、どれも新鮮な時間だった。そしてその都度交わされる、多岐に渡る玉石混淆な情報のやりとりに、これが女子会かと感動さえしていた。この集まりが歳を重ねると井戸端会議と呼ばれるものになるのだろうな、と少々外れたことを考えたりもするけれど。
 共に暮らすふたりの男についても流子は話をするが、男二人の夫婦漫才じみたやりとりを笑うような内容がほとんどで、とくに何かされた様子もない。
 むしろ流子は、別の男の言動に困惑しているようだった。

「猿投山がさ。未だに『俺と勝負しろ纏』って言ってくるんだよな」

 嫌ではなさそうだったが、戸惑っているのも確かだった。

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