• 単発もの小説

あの地獄より醜い世界に、名前をつけるとしたならば。

  • 天使禁猟区
読了目安時間:4分

自分でも何を考えて書いたのかよくわからない天使禁猟区の二次創作。書いたの……高校生の頃だったきが、する……。

 ルキフェル、あのジャップまた来てやがったぜ。見知った顔の男がすっかり出来上がった顔を寄せて彼に話しかけてくる。ユエの話題になると下卑た笑みを浮かべてジャップと口にするこの男の方が、日系なぞよりよっぽど下衆と呼ぶに相応しいと、いつも彼は思う。しかしそう言った所で大層下らない面倒事が起きるのは目に見えていて、だから彼はそれについて何も語らない。それに、他人の言うことなど実際どうでもいいのだ。つまりは己とその周りに害さえなければ、世界がどうなろうと、それこそ明日に全てが終わってしまおうとも、ルキフェルに言わせてみれば関係ないの一言で済んでしまう。俺は快楽主義者で、そう、楽しければ何がどう在ろうと気にしやしない。ルキフェルはそんな青年だった。灰色の瞳は常に利己的な輝きで満ちている。
 それで? ルキフェルは男に尋ねた。ユエは何と言っていた? こう直接訊いてやらないと、肝心な所を言わずに済ませてしまう様な男だ。ろくでもない。ルキフェルは未だに、この男の名前を覚えていない。酒臭い息と共に吐き出された言伝を、彼は溜息で受け止める。そしてテーブルの上にドルを置いて、喧騒に溢れた店を後にするのだ。きっとあの金は一晩で店のものと成り果てるだろう。あの男の飲み方は凄まじい。豚の癖に、一丁前に人間様の飲み物に手をつけるとは。甚だ身の程知らずの家畜だ、なんて言葉を寒空のした笑いながらひとり吐き捨てる。あの男は知ってるだろうか? いつアル中でぽっくり逝くか、そんな賭け事が仲間内で交わされていることを。下衆の仲間はやっぱり下衆だ。あんまり愉快でつい声にまで出して笑ってしまった。建てられては壊され、また建てられてと変貌を繰り返すネオンの街で、それに気を留める者など誰一人居なかったのだが。
 伝言通りの場所には、知り合って久しい女の姿があった。遅かったなルキフェル。ああ、豚に絡まれててな。それは難儀だったと言って微笑む女は美しい。アレク、と名を呼べばただ視線を返して彼のグラスを用意し始める。呼び出したのはそちらだろうに。決して腕を絡めるやら、言葉にするやら、そんな陳腐な誘惑を彼女はしない。寧ろ誘いというより挑発に等しい。おとせるものならおとしてみろ。――視線だけで彼女はそう鮮やかに語り掛けてくる。受けてたとうじゃあないか。喉の奥でくつりと笑って、彼はグラスごとその手を捕まえた。彼女は此処最近では一番の、彼のお気に入りだった。どれだけ喰らい尽くそうと、一向にその瞳から堕落の香りを漂わせない。唇も肌も何もかも毒の如く甘いのに、その眼だけは輝きを失わない。増してると言ってもいい。時折反抗すらしてみせる、ナイフの様にぎらぎらと燃える双眸。そんな眼をさせているのが己なのだと思うだけで気分が良かった。それに彼女は、その激しさで何もかもを受け容れる、一種の自己犠牲にも似た慈愛をその内に秘めていた。嗚呼、なんて馬鹿な女だ。彼はそんな馬鹿が大好きだった。
 お気に入りと言えばそう、ユエもその内の一人だ。祖父が日本人だという奴は、その遺伝子を面白い位受け継いで生まれてきたらしかった。鼻は低いわ童顔だわ肌は黄色いわで、随分と昔から周りに色々言われてきた様子だった。親も結構なろくでなしだったらしい。散々打たれ扱かれ捻くれて、今ではすっかり可愛いチンピラと化している。やんちゃと聞いてルキフェルが思い出すのは四つ下の弟だったが、奴もそれにタイマンを張れる生意気小僧だった。拾ってやったのはいつだったろうか。気がつけば隣なり後ろなりに奴が居た。根性ひん曲がっている癖に、表情は妙に子供臭い。そしてまだ何処かで、世界の綺麗な所を信じたがっている。ユエも相当な大馬鹿だ。そんな奴の事が大好きな俺は、きっとそれ以上の馬鹿なんだろう。嗚呼、なんてセカイは美しい!
 そうやってロクデナシながらも日々人生を謳歌しているルキフェルだったが、時折妙な不安に駆られることがある。声が聞こえる、気がするのだ。誰かが自分を、知らない名前で呼ぶ声が。 
 センパイ。
 英語じゃない。なのに彼は、それが己を指し示す呼称であることを知っている。
 センパイ。
 現実のものとは到底思えないその声に、しかし彼はいつも拒絶の呪いを胸中で唱えている。やめろ、呼ぶな。その名で呼ぶな、引き戻さないでくれ。まだ、この馬鹿馬鹿しいぬるま湯の中に浸っていたいんだ。
 
「キラセンパイ。」
 
 そんな名前、知らない。

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