• 夜明けを願う祝ぎの庭

夜明けを願う祝ぎの庭 2

  • くりつる
  • 不仲な男士有
  • BL表現有
  • 燭鶴
  • パロディ
読了目安時間:27分

なんでもありのハリポタパロ第二話。日本の魔法学校にはふしぎがいっぱい。

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 どこぞの家の母親が、学校に苦情を入れたらしい。
 国永がそれを知ったのも、朱雀寮の談話室で囁かれる噂話からだった。その訴えは案の定、伊達廣光の授業内容についてである。というのも先日、玄武寮の一年生が初めて魔法薬の調合をさせてもらったとはしゃいでいたのを、朱雀寮の一年生が聞きつけて、ちょっとした騒ぎになった。朱雀寮の一年生はまだ、唐芋の甘露煮から抜け出せていない。名門の子が揃う朱雀をさしおいて、玄武の子どもらが先を行くのが納得行かない、ということらしい。誰かが手紙で親に愚痴ったのだろう。伊達廣光を魔法薬学の担当から外すようにという要望もあったそうだが、校長の弓槻宗近はそれらをやんわりと断ったそうだ。そんな話まで出回っているのか驚きつつ、校長も母のようなタイプの男かもしれないなあと国永は考えていた。弓槻といえば三城足利の流れを組む由緒正しき家のはずだが、どうにもやりくちが母と似ている。
「貴方のお母様ではないのですか?」
「……は?」
 国永に話を振ったのは、左合の次男坊だった。
「貴方のいる朱雀をないがしろにするということは、五城のご子息をないがしろにするようなものではありませんか。心を痛めたご当主様が、こっそり提言したのではないかと皆で言っていたのですが」
「いやいや、まさか。あの人はわりと放任主義だからなあ。こういうことには口は挟まないと思うぞ」
 というか母に限ってそれはない、と国永は胸の内できっぱりと言い切った、どちらかといえば父の方がやりそうな話であるが、そもそも国永は今回の一件について手紙に書いたことがない。無論他の家の者から話を聞く機会はあるだろうが、よその子どもが言っているだけの話で動くほど、うちの母は暇じゃない。しかしそう思っているのは国永と、おそらく安達みつると面識のある国俊のふたりだけだった。困惑した顔の国俊と国永をよそに話は進む。
「そうは言っても、親元を離れた息子のことですから、やはり心配なさっていらっしゃるのでは?」
「今回の件に関しては、少々贔屓が過ぎますからね」
「あわい者の生まれだそうですから、どうしても同じ境遇の者に甘くなるのは仕方のないことかもしれませんが……」
「――違うと言っているだろう!」
 思わず叫んだ国永に、全員の視線が釘付けになった。先ほどまでの喧騒が嘘のように、談話室が静まり返っている。やってしまったと気づいた所でもう遅い。国永はどうにか笑みを浮かべて、ひらりと手を振る。
「……すまん、ちょっと頭を冷やしてくる」
 後ろで永、と国俊が小さく彼を呼んだが、振り向くことなく国永は談話室を後にした。
 
 
 
 赤く色づいた桜の木の下で、国永はひとり座り込んでいた。
 らしくないことをしてしまったと彼自身分かっていた。そして彼らに悪意がないことだって国永は知っている。国永はこの国で五本指に入る家の跡取りだ。そういう風に見られたことだって初めてではない。それでも、父母から離れたこの地でさえ、まるで国永が父母に何かを頼んでいるように思われるのは、ひどく自尊心を傷つけられることだった。親の七光りと思われることを、国永は好まない。生まれた家が家だからそういうものだと、外にいる頃は思っていたのだが。この閉じた環境にいる間くらいは忘れていたかったというのが本音である。
 それに、廣光がけして贔屓をしている訳ではないと、国永は知っていた。
 国永には友人が多い。
 朱雀寮の者はあまり他の寮の人間と関わろうとしないのだが、国永は気が合いそうだと思った相手には気さくに話しかけるし、今ではこっそり他の寮に忍び込んではばかげた話に興じて笑い転げることだってある。だから国永は他の者達よりもずっと、他の寮の様子を知っていた。
 玄武寮の一年生は、すでに調理場でちょっとした料理を作り始めている。
 青龍と玄武はもともとあわい者が集まりやすいと言われている寮で、そこに在籍している者たちは国永の目からみても、朱雀の面々よりよほど地に足がついているというか、はっきりといえば生活力に長けていた。上級生たちも積極的に料理について指導をしているらしい。朱雀寮のお嬢様方より玄武寮の男達の方が慣れた手つきで料理をこなす。
 りょうりをするということは、まほうやくをつくることとおんなじなんですよ。
 つまりはいまのの言葉の通りなのだろう。玄武の一年生は魔法薬を作る基礎ができているから先へと進み、朱雀の一年生はまだその域に至っていない。それだけの話なのだ。
 懐から扇を取り出し、すこしだけ開いて描かれた伏龍を見る。あの腕の龍尾を見てから、彼に対して勝手な親近感を抱いている自覚はあった。おそらく母の友人に違いない、というのもある。そんな廣光が悪く言われるのも、何だか国永には腹立たしかった。
「……しかし、腹が減ったなあ」
 気がつけばとうに日は沈み、辺りは薄闇に覆われている。もう暫くすればすっかり暗くなってしまうだろう。そろそろ寮に戻ろうかと国永が立ち上がったところで、――その声はじとりと響いた。
 
「お腹が減ったのかい、ぼうや」
 
 ぎょっとして国永が振り向くと、そこには美しい女が立っていた。しどけなく着崩した金赤の着物と白い肌が、やけにはっきりと薄闇の中で浮かんで見える。赤い唇がゆるやかな弧を描き、長い睫毛に縁取られた双眸も有明の月のように細めて、国永を見つめている。ぞわり、と訳もなく背筋が凍えたような心地がして、国永は何も答えられずにただその女を見つめ返した。
「お腹が減っているのかい、ぼうや」
 誘うように国永をぼうやと呼ぶ声も美しい。高すぎず、よく澄んで、すうっと耳に入ってくる声だ。しかしなにかが、これはよくないものだと告げている。どくどくと心臓が煩いほどに跳ねていた。
「お腹がすいているのなら、ほら、これをおたべ。おばさんが握ったおにぎりだ。きっとすぐに元気がでるよ」
 すう、と女が差し出してきたそれは、美味しそうなおにぎりだった。米は潰されないまま一粒一粒輝いて見えたし、口に入れればそのご飯はほろりとほどけて、よく噛むほどにほのかな甘さが、先に舌が捉えた塩の味を追いかけて、口や鼻孔を素朴な味わいで満たすだろうと、見ているだけで想像できた。しかし国永の口の中はつばが出ないどころか、からからにかわきはじめている。
「ほら、おたべ。遠慮はいらないよ。さあ、おたべ」
 よもつへぐい。いまののことばがより鮮明に蘇る。一歩後ずさった国永を追い、女が一歩、近づいた。
「さあ、おたべ。さあ。さあ、おたべ。おたべ」
「俺は……」
「さあ、どうぞ、おたべ、おたべ……」
「俺は、食べない。それはいらない」
「なぜ、なぜ。おなかがへっているのだろう? えんりょはいらない、おたべ、おたべ。ほら、はやく、たべるんだ、さあ、さあ!」
 ごぽり、と女の足元から黒い泡の様なものが湧き出るを見た国永は、「食べない!」と叫ぶように言い捨ててから、一目散に駆け出した。
 あれは、なんだ、あれは、なんだ! 国永に答えるものは此処にはおらず、ただ彼は得体のしれないものから逃げるために走り続けた。途中で後ろを振り返り、ひ、と国永は小さく悲鳴を上げる。女の腕や足はありえないほどに長く伸び、ねじれ、黒い泥のような何かをまとわりつかせながら、まるで蜘蛛のように地を這っている。両目は血走り、口の端を獣のように吊り上げたまま、にがさない、にがさないと笑っている。その背中では有象無象のおぞましい何かがぐちゃぐちゃと黒い泥と混ざり合いながら膨れ上がり、気泡を立てながら彼女の来た道を黒く、黒く塗りつぶしている。
「ッ、あっ、た」
 必死に走っている内に足がもつれて、どさりと国永は倒れこんだ。なんとか腕を前に出して、どうにか立ち上がろうとして、また転ぶ。動け、動けと念じているのに、からだはうまく動かない。本当なら前へ、前へ逃げなければならないのに。座り込むように国永は思わず後ろを向いて尻をつき、どんどん近づいてくる女から逃げようと、そのままもがくように手足を動かした。血の音が聞こえるほど鼓動は速まっているし、汗は止まらず、涙がでる。――だめだ。何も考えられなくなった国永の前で異形がにたりと顔を歪ませた、そこで場違いな声が割り込んできた。
 
「……何故ここにいるんだ、お前は」
 
 溜息まじりに転がされた低い声に、異形はぎゃっと悲鳴をあげた。ぽかんと口を開けた国永がおそるおそる後ろを振り向くと、彼――伊達廣光の姿があった。練色の着物に黒の武道袴、そして左手には太刀を握る、昼間とはあまりにかけ離れた姿。あの日とよく似た出で立ちの男が、ゆっくりと踏みしめるように一歩、二歩と異形に近づく。それだけで痙攣するように異形が跳ねるのが、まるで嘘のようだった。
「この子どもはこの学校の生徒だ。お前の餌じゃない。約を違える気か」
「違う、そんなつもりは、ない。なかった。その子どもが此処にいたのだ」
「誘いには応じていないだろう、見れば分かる。誰の許しがあって追い回した」
「ちがう、ちがう、わるぎは、わるぎはなかった、ゆるせ、ゆるしておくれ」
「あまりこわがらせてはだめですよ、廣光。れでぃーをなかせてはだておとこがだいなしです」
「いまの?」
 国永の隣にふわりと舞い降りたのは、天狗に似た姿の座敷童だ。よくがんばりましたね、と国永の頭を軽く撫でてから、ふわふわと綿毛のように飛び跳ねて廣光の隣に並ぶ。よく見れば他の座敷童たちも集まっていて、怯える異形を取り囲むように立っている。
「ここはぼくらと青江にまかせて、廣光は国永をすざくりょうまでおくってあげてください」
「京極はどこにいる」
「びゃっこりょうのそばをみまわっていたはずです。いま乱花がよびにいきましたから、すぐにこちらにやってきますよ」
「分かった。……行くぞ、安達」
「あ、ああ」
 差し出された廣光の手を取り、そのまま手を引かれて国永はその場を離れた。廣光も国永も歩いているのだが、後ろからあの異形が追ってくる気配はない。
「……そう何度も振り返らずとも、あいつはもうやってこない」
「あれは、一体何なんだ?」
「昔からこの学校に住んでいる……隣人のようなものだ」
「あんなのを住まわせてるのか!?」
「約を違えなければ害はない。……新月の晩は寮から出るなと、聞いていないのか」
 言われて空を見上げれば、なるほど今日は月がない。しかしそんな話に覚えのない国永は、ふるふると首を横に振りながら、「聞いていない」と素直に答えた。
「……入寮の日、お前がいない時に話をしたんだろうな。あれはここの生き物だが、新月の晩は外の妖も入り込む。新月の晩は外に出るな」
 細川は割りと適当だからな、と言いながら溜息をついた廣光の横で、国永はぼろりと涙を落とした。
「う……うう……ぐ……」
「っ、……、安達?」
 たまらなく悔しかった。何でも知っている気になって、ほいほいと自ら危険の中に飛び込んで、いざ怪異と対峙したらこの有り様だ。何も出来なかった。何ひとつだ。唇をきつく噛み締めても、次から次に涙が溢れる。俺はほかのやつらと違うと言いながら、なんにも違わないじゃないか。恥ずかしいのか、腹立たしいのか、その区別さえもよく分からない。ただ、先ほどまで震えるほど寒かった気がしていたのに。全身が焼けるように熱かった。
 つないだままの掌から廣光の困惑が伝わってくるのにもだいぶ堪えた。やがて廣光は国永の手を握ったまま、朱雀寮と逆の方に歩き始めた。
「え、あっ?」
「……その顔で戻りたいのか?」
 ぶんぶんと勢い良く首を横に振った国永を見た廣光は、小さくひとつ息をついて、そのまま彼を連れ出した。
 
 
 
 魔法薬学教室の横は彼の準備室らしい。電気をつけて国永を中に促した彼は、端末を取り出しどこかに連絡をしはじめた。話の内容からして、相手は惟定だろう。生徒への伝達はきちんとやれという短い小言としばらく落ち着かせてから送り届けるという連絡事項だけを手短に伝えて、電話を切った。
「……立ってないで適当に座れ」
「あ、……はい」
 国永もさすがにもう泣き止んでいたが、だからといっていつものように明るく振る舞えるわけがない。テーブルの横の椅子をひとつ借りて腰掛けたあとも、暫くふたりに会話はなかった。
「……湯を沸かしてやるから、待つ間それでも舐めていろ」
 ことり、と目の前に置かれた瓶の中に、形はふぞろいだが色とりどりに輝く飴が詰められている。しかし手に取ろうとしない国永に、彼は困ったようにため息をつき、隣の椅子に腰掛けた。
「お前は知らなかったんだろう。お前の落ち度じゃない」
「……しかし」
「むしろあれのまやかしに騙されずに、断ったんだろう。もしあれに応えていたら、今頃お前はここにいない。お前は己の身を守った」
「……そんな、」
 慰めなどいらない、とはいえずに口を噤んだ国永は、彼の金の目が微かに泳いだのも気が付かなかった。
「……お前は、筋がいい。少なくとも魔法薬学については……母親よりよほど。父親に似たんだろうな」
 その言葉にはじかれたようにして、国永はぱっと顔をあげた。泣き腫らした目はおそらく真っ赤だったろうが、廣光はいつもより少し和らいだように見える瞳で、国永をじっと見ていた。
「やっぱり、母さんと付き合いがあったんじゃないか。というか、父さんのことも知ってるのか?」
「……同窓生だ。同じ年に、ここに入学した」
「えっ、若いな!?」
「……みつるは、魔法薬学はかなり苦手だったからな」
「……あ、あー……」
「あいつのあれに比べれば、お前のつくるものはずっといい……」
 
 
 
 いくつか昔の話を聞いて、落ち着いてから顔を洗って。廣光と並んで国永が朱雀寮に戻った時にはもう、二十二時を超えていた。夕飯を食べそこねたなと国俊に笑うと、ちゃんと取ってありますよと言って、左合の次男坊が用意をしてくれた。
 手を合わせて、小鉢の煮物を箸で取る。甘く煮付けた人参が、ひやりと舌に心地よい。ああ、美味い。国永はまた少しだけ泣きそうになった。
 
 
 
 大浴場から戻った国永は、先刻引き出しの中に入れたばかりの瓶を取り、中に詰め込まれていた黄色い飴をひとつ、指でつまんで口に含んだ。先ほど廣光から持たされた飴の小瓶。帰りがけに先生の手作りかなのかと冗談交じりに訊ねてみたら、だったらなんだと予想外の返事を返された。その時のやりとりを思い出し、小さく笑う。
 口の中の飴は、とろけるほどに甘かった。
 
 
 
 おできをなおす薬の調合を国永達が学ぶのは、それから二週間後のことだった。

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