• 夜明けを願う祝ぎの庭

夜明けを願う祝ぎの庭 1

  • くりつる
  • 不仲な男士有
  • BL表現有
  • 燭鶴
  • パロディ

 かくも東は度し難い。そう西の連中から嘆かれるこの国の現状を、安達国永は愛している。
 池袋の駅を西口から飛び出し、空を狭めるようにそびえ立つビルの足元を、雑踏の合間を縫うように歩くのを彼は好んだ。光を散らす長い銀糸の髪に、絹のような白い肌。類稀なる美しさを隠しもしない少年はどこをどう歩いても人の目を引くのだが、それを禍ではなく益とするだけの利発さを彼は幼い頃より遺憾なく発揮していた。存在がずるい、と詮無き不服を申し立てたのは誰だったか。何にしろ、池袋の人混みのなかを歩く、その短い時間を彼はいつも楽しんだ。
 人々の視線を浴びながら、気にすることなく国永は道路脇に設置された、何の変哲もない公衆電話の箱の中にその身を滑らせる。携帯電話の普及した昨今、この設備をどのくらいの人間が使っているのか、国永は知らない。が、国永の様な者には馴染みの深い結界だった。受話器を取って、コインを入れぬまま決められた通りに数字を押し、まじないの言葉を囁く。とても簡単な、簡単な儀式。それだけでガラス越しの景色が変わる、それを当たり前のこととするのが彼らの世界だ。
 ふたつに折れるような形でひらく公衆電話の扉の向こうにはもう六面体を縦に伸ばしたような風景などなく、代わりに広がるのは江戸の城下町と明治のレトロな町並みをまぜこぜに並べたような、無秩序にしか思えない大通りだ。空は紫、通りの両脇に並んで吊るされた真ん丸の赤い提灯がぼんやりと行き交う人々に影を落とす。一見懐古的だが背の高い層塔には大安売りを知らせる垂れ幕がさげられ、その隣に掲げられた大画面ディスプレーが流行の飛行箒のCMを流しているという有り様だ。
 ――西のやつらはもったいない、と国永は思う。
 人の世の何もかもを考える機械が管理するようになったこのご時世、今なお西のご同類達は電子を嫌っているのだという。確かに伝統と形式は魔法を支えるが、そればかりじゃあ、つまらないだろうに。
 いつ来ても夕暮れ時のように薄暗く、それでも賑やかな通りに躍り出て、少年は金色の目を細めて笑う。
 
 火燈通りは魔法の世界。
 人ならざる者達がひしめきあう、魔法使いの庭だった。
 
 
 
 国永は魔法使いではない。
 ただの人間と魔法を使う素養を持つ者を区別するための名称として魔法使いという言葉を使うなら、間違いなく国永は魔法使いに当てはまる。が、素養を持つ者――この国では祝ぎ者と呼ばれる――は、魔法国際法によって七年間の義務教育を受けるまでの間、正式な魔法使いとして活動することを禁じられていた。祝ぎ者の子どもたちは満十一歳を迎えた次の菊月に魔法学校に入学し、そこで七年間、学生寮に入って魔術を学ぶのだ。昔は人間の学び舎と同じく四月始まりだったらしいが、これも西洋にならってこの時期に切り替わった。まあ確かに、魔法具を買い揃えるのに二週間の春休みは少々短いだろうが。
 国永は昨年の冬に十一の誕生日を迎えたばかり。まだ魔法学校に入学もしていない、ただの祝ぎ者である。生まれ故に有名ではあるのだが。
「いらっしゃい……ああ、安達の長男坊か」
 茶柱というへんてこな名前の扇屋に入った瞬間、そう声を掛けられる程度には。国永の家は有名な一族なのだった。
「よっ。久しぶりだな、繍眼児めじろ
 名前の通り繍眼児の羽のような色合いの髪を持つこの男は、国永が幼い頃から安達の家に出入りしている扇商である。だいぶ年嵩だが気心のしれた相手で、このように国永が声を掛けても気を悪くした様子も見せず、「元気そうで何よりだ」と言いながら右手の湯のみを小さく掲げた。この扇商は安達の家だけでなく、他にも有名な御家の扇を扱っている一流の商人なのだが、本人はこんな雑然とした街の片隅に店を構え、茶を啜っているような変わり者である。ただ、ごく普通の祝ぎ者の手にも届く、しかし質のいい扇を揃えているともっぱら評判だ。
 西洋では杖を使うが、この国では蝙蝠扇を使うことの方が多い。そのほうが人間に紛れて使いやすいという、西の者が聞けば頭を抱えるような理由で扇が選ばれているのだが、それを咎める者はこの国にいない。
「今日はひとりか。御母堂の使いかな?」
「違うぞ繍眼児。今日はな、俺の扇を買いに来たのさ」
「扇? ……ああ、そうか。もうお前もそんな歳になるのか」
「ああ、九月には入学式だ」
「それはそれは、失礼したな。俺の方から安達の家に伺うべきだった」
「いや、それこそ母さんから、自分の足で店に行って探してくるよう言われているんだ。だから、こちらから呼ぶこともなかったんだろう」
「そうか。それなら良いんだが」
 どれ、と腰をあげた繍眼児を追うふりをして、国永は店内をくるくると見回した。何度か来たことのある場所だが、ずらりと並んだ木製の棚は年季の入った色をしていて、それだけで心をくすぐられるものがある。その中には無数の扇が丁寧に並べられているのを国永は知っていた。
 繍眼児は奥の戸棚からいくつか細長い木箱を選び出して、レジスターを載せている広い机の上にそれらを置いた。白い木目とふたりの顔がガラス製の天板に映り込んでいる。
「とりあえず、お前と相性が良さそうなものを選んでみたが、こればかりは試してみないと分からないのでな。開いて軽く扇ぐといい」
 並べられた木箱は六つ。繍眼児が右端の木箱の蓋をあけ、和紙に包まれた蝙蝠扇を取り出し国永に手渡した。そっと扇を広げて骨に貼られた紙を眺めれば、藍色の空に浮かぶ満月と鮮やかな菊花、その先に止まる白い蝶が描かれている。そのまま右の手に持ち、ふわりと扇ぐ。が、何も起こらない。
「夜菊に蝶は合わないか」
 同じように国永は渡された扇を開いては扇いだが、雪椿、笹に白虎、百合髑髏の三柄は同じく何も起こらなかった。五柄目の富士鶴を見てこれだと国永は思ったが、扇ぐとばちばちと火花を飛ばし、前に握った四柄を吹き飛ばした挙句、戸棚の引き出しを一つ残らずひっくり返した。国永ははしゃいだが、これではだめだな、と繍眼児は肩を竦めてみせて、懐から扇子を取り出す。広げもせずに一振りするだけで戸棚を元の通りに戻した店主は、ふむ、と神妙な面持ちで最後の一箱を見下ろした。先ほどの騒ぎの中でも微動だにしなかった箱である。
「意外なものが残ったな。……しかし、そうか」
 呟きながら繍眼児が箱から取り出した扇子を受け取り、国永はゆっくりとそれを広げた。まず現れたのは、黒い龍だ。大蛇のようにとぐろをまき、地に伏せた姿の雄々しい龍。そのまま広げていくと、左の端、崖の上に竜胆が咲いている。竜胆の花が崖の上から龍を見下ろしているような構図の絵が、紙面いっぱいを使い、墨一色で描かれていた。
「竜胆に伏龍」
 繍眼児の囁くような声に合わせて少年がそっと扇ぐ。するとふわりと柔らかい風が吹き、彼の周りに光の粒をふりまいた。その図柄の猛々しさからは想像もできぬほど優しい光が、己の周りをくるくると回って、幻のように消えてしまった。しばし国永は声を失い、消えた輝きに目を奪われたまま呆けていた。
「これだな」
 繍眼児の言葉を疑いようもない。説明されるまでもなく、これが己の扇だと国永にもすぐに分かった。先ほどの富士鶴の絵を見てこれだと思ったのが嘘のようだ。
「しかしなるほど、お前がそいつの主となるのか」
「なんだ、何か曰くつきの品なのか?」
「いや。ただ、そいつには対の扇があってな。そちらはもう随分昔にもらわれていったんだが、その主がもう、お前とは正反対の男でね。……懐かしいな、あれからもうそんなに経つのか」
 国永の顔をじっと見つめた繍眼児は意味深長な笑みを浮かべ、「これも縁というやつか」とひとり勝手に頷いている。正反対とはどういう意味だと聞き出してみたい気もするが、なんだかどうにも居心地が悪い。あまり首を突っ込むと余計な話をほじくり返してしまう気がして、彼はそれ以なにも聞かないことにした。持たされた金銭で代金を支払い、出された茶と菓子を遠慮無く頂戴しつつ、当たり障りのない話をする。
 さて帰ろうかという段になってから、「ああ、そうだ」と繍眼児は国永を呼び止めた。
「扇の柄は隠さないといけないわけじゃないが、かといって人にほいほいと言いふらすなよ」
「ああ、そのくらいのことは心得ているさ」
「特にその柄は、お父上には言わない方が良いだろうな」
「父さんには?」
「ああ。……さあ、もうそろそろ浮き世の日も暮れる。気をつけて帰れよ、国永」
 みつる様とお父上によろしく、と柔らかいが有無をいわさぬ語調でそう言われてしまえば、国永には為す術がない。それにこういう時は素直に聞くのが一番だと、彼の勘が言っていた。
 また来るぜ、と軽い挨拶を茶柱に置いて、国永は袱紗に包んだ蝙蝠扇を胸に抱いて家路についた。
 
 
 
「それじゃあ無事に扇は買えたんだね」
「ああ。すごいんだ、驚くほど手に馴染む。まるで俺のために作られたような扇だった」
 家に帰った国永を迎えたのは父親の光忠だった。国永の言葉に「それは良かった」と彼が微笑むと、傍に控えるメイド達の口からほう、と溜息がこぼれる。息子の目から見てもこの隻眼の父は男前だ。若い彼女たちがつい佇まいを崩してしまうのも致し方ないことだろう。
「それで、どんな柄を見繕ってもらったんだい?」
「おっと、だめだだめだ、父さんにも教えられないぜ? 繍眼児にも、言いふらすなと言われてしまったからな」
「あ、随分と生意気なことを言う。そんな国ちゃんにはこうだ」
「あはははは! やめてくれよお父様!」
 わしゃわしゃと光忠が頭を撫でても、指通りのいい髪は絡まることなくするすると指の間をこぼれおちていく。母親と瓜二つの国永を、光忠は溺愛している節がある。
「相変わらずお前らは仲が良さそうだなあ。妬いてしまうぞ?」
「あ、母さん」
 奥から顔を出したのは安達家の女当主、即ち国永の母である。国永と同じように長く伸ばした銀糸の髪をかんざしで結い、白いスーツに身を包んだ彼女が父と並べば、それだけでもう一枚の絵画のようだ。また誰かが溜息をこぼしたのを聞き取って、今度こそ国永は苦笑いした。
「寂しいなら君も撫でてあげようか、みつるさん」
「おっと、人目のある所では止めてくれよ、お前様」
 くつくつと笑いながら伸ばされた手を払い、母は国永と視線を合わせるように軽く腰をかがめて、にやりといたずらっこのような笑みを浮かべた。
「繍眼児の店で悪さはしてないだろうな、悪ガキ」
「信用がないな! 何もしちゃいないさ。まあ、ちょっとばかり店のものをぶちまけちまったが」
「あっはは! 合わない扇で爆発でも起こしたか? 気にするな、あの店じゃあしょっちゅうだ。私も最初の扇を選ぶ時にやらかしたっけなあ」
「……今度お菓子でも持っていこうか……」
 気にしているのは父親ばかりで、当の母と息子はけらけらころころと笑っている始末だ。こういう所も国永が母親とそっくりだと言われる所以である。まるで生き写しのようだと、今まで何度言われてきたか。
「それで? どんな柄かはお母様にも教えちゃくれないのかい?」
「ああ、母さんにもないしょだ!」
「一丁前の口を叩くようになって。まあ、そうさな。そのくらいの気概でいた方が、身も引き締まって良いだろうさ」
 頭を撫でる母に、ふすふすと鼻を鳴らすように国永は笑う。繍眼児から内緒にするよう言われたのは父親相手だけであったが、帰り道で国永は誰にも教えないと決めていた。竜胆に伏龍。己に応えてくれた無色の扇を、国永はすっかり気に入ってしまっていたのだ。将来父や母のように複数の扇を持つことになろうとも、おそらくこの扇は特別なものになるだろうと、国永は予感していた。
 
 
 
 弟を寝かしつけてからひとり自室に戻り、こっそりと扇を開く。伏せた黒い龍のまなこをじっと眺めて、国永は夢想した。眼の色はきっと金色。俺と同じ金目の龍だ。黒い龍の頭を指先でやんわりとひと撫でして、白い少年はにんまりと笑む。
「よろしく頼むぜ、俺の伏龍」
 入学式は、三週間後に迫っていた。

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